正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その四

 しかしまあ、つべこべうるさい世の中ですなあ。いろんな人が色々言ってます。でも、実際、事実として起こっていることは何なのか、よくわからない。
 言ったり、書いたりしてる人は信用できるのか、よくわからないし。その人にはそう見える、その人はそう思ってるだけなんじゃないか、と思うことがほとんどだ。
 何が事実なのか。少なくとも自分の身の回りのことは、事実として直観的にわからないと危ないと思う。自分の身の回りのことが分からないのに、社会全体のことはわかるなんてことがある訳ない。
 岩波文庫62ページ「照見これ般若なり。この宗旨(そうし)の開演現成(かいえんげんじょう)するにいはく、色即是空(しきそくぜくう)なり、空即是色(くうそくぜしき)なり、色是色(しきぜしき)なり、空即空(くうそくくう)なり、百草(はくそう)なり、万象(ばんぞう)なり」
 照見とは照らし見る、具体的には坐禅すること。坐禅すると自分自身、自分の周囲の様子も体で感じることができる。そして、このことが、直観的な智恵なのだ。
 その要となるところを示せば、色即是空つまり物質、客観世界はあるがままであるし、空即是色あるがままであることがすなわち物質、客観世界である。物質、客観世界は物質、客観世界そのものであり、それ以外のものではない。あるがままはあるがままとしか言い様がない。それは具体的には生えている草であり、森羅万象そのものだ。
 頭の中でこねくりまわしたことを、つべこべ言う前に坐禅して現実を照見した方がいいと思いますがね。