正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その十二

 何回か書いたと思うけど、私は政治家に期待している。民主主義の社会で選挙によって選ばれた政治家がしっかりしてくれない限り、社会は良くならない。そしてちゃんとした政治家を選ぶためには国民自身もしっかりしなければ話にならない。
 この国は、さらには人類はどのような社会を作ろうとしているのか?なんだか、本質的な核心のところが、はっきりしていないと思う。
 浅薄な理想論、あまりにも下品な欲望の2つははっきり現れてはいるけれど。
 世の中、ちゃんとした人もいれば、箸にも棒にもかからない人達もいる。欲望の塊、利害関係、主義主張なんて言い出したら、どこまで行くのやら。そういう、複雑怪奇、魑魅魍魎が跋扈する社会をどのようにしていくのか。
 上に書いたような社会が「現実のもの、事実として」見えていることが最低条件だろう。主義主張で目が眩んで、事実が見えてない人、政治家が一杯いる。そして、よく見えた上で、どのように実現するのか?具体的な納得できる実行計画についぞお目にかかってない。「だからどうやるつもりなんだ!」と言いたいものがほとんど。思う通りにならない奴等は弾圧、虐殺でもするんですかね、正義の名の元に。綺麗事はもういいよ。本当にこの国を、世界をどうするのか、しっかりしないと時間はあまり残されてないと思えてならない。桜の会もけしからんのかも知れないけど、もっと根源的な議論をしてもらいたいけどね。桜でぎやーぎゃー政府も野党もレベルが低すぎではないの?
 いやいや、まずいまずい。先生様たちの目に留まったらどんな意地悪されるかわからない。私は馬鹿なの。許してね。
 岩波文庫68ページ。如浄禅師の偈を受けて道元禅師が書いておられる。「これ仏祖嫡ゝ(ぶっそちゃくちゃく)の談般若なり。渾身般若なり。渾他(うんた)般若なり、渾自(うんじ)般若なり。渾東西南北般若なり」この偈は釈尊以来代々伝えられてきた正しい智恵を表現している。風鈴そのものが正しい智恵である。「他」というのは、西嶋氏によると、自分以外の客観世界。客観世界の全てが正しい智恵である。自分自身(主観、主体)も正しい智恵である。東西南北この世の一切が正しい智恵である。
 本来、大宇宙全ては正しい智恵なのだ。しかしながら、人間というものが(人間も本来正しい智恵なのに)頭の中の歪んだ考えに囚われて、世界をおかしな、悲惨なものにしてしまっている。
 まず身心を本来の正しい状態に戻して、現在の世界の事実を正しく把握、理解して、現実にどのように正しいものにしていくのかを考えなければ駄目でしょう。
 これは、上にも書いたように複雑怪奇、魑魅魍魎が跋扈する世界を相手にすることだから、時間と忍耐が物凄く必要。メッセージを発することも大事だと思うが、各国の国益の対立、民族、宗教の対立、経済格差の不満の蓄積など、現実に地道に具体策を講じて行かねば、解決することはない。
 その大前提として、1人1人が正しい身心とならねばならない。それは、坐禅に頼るしかない。