正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百十

 岩波文庫103、104ページ「予、雲遊のそのかみ、大宋国にいたる。嘉定十六年癸未(きび)秋のころ、はじめて阿育王山広利禅寺(あいくおうざんこうりぜんじ)にいたる。西廊の壁間(へきかん)に、西天東地(さいてんとうち)三十三祖の変相(へんそう)を画せるをみる。このとき領覧(りんらん)なし。
 のちに宝慶(ほうきょう)元年乙酉夏安居(いつゆうげあんご)のなかに、西蜀(せいしょく)の成桂知客(じょうけいしか)と、廊下を行歩(ぎょうぶ)するついでに、予、知客にとふ、「這箇是什麼変相(しゃこししもへんそう)」。知客いはく、「龍樹身現円月相」。かく道取する顔色に鼻孔(びくう)なし、声裏(しょうり)に語句なし。
 予いはく、「真箇是一枚画餅相似(しんこしいちまいわひんしょうす)」。
 ときに知客、大笑すといへども、笑裏無刀(しょうりむとう)、破画餅不得(はわひんふて)なり」
 道元禅師が真の法を求めて旅をし、偉大な宋の国に渡った。1223年(宋に入国した年)に阿育王山の広利禅寺を訪れた。寺の西側の廊下にインド、中国の三十三人の仏祖の様々な姿を描いた絵を見た。このときは絵の意味が理解できなかった。
 そののち、1225年(道元禅師が真の仏教を伝えられた天童山(てんどうざん)如浄(にょじょう)禅師の下にいらした年)に、西の蜀の国から来ていた成桂という知客(しか、知客とは外来の客の応対をする係の僧)とその廊下を歩いていたときに、道元禅師が尋ねた「この三十三の絵はどういう意味があるのですか」。知客は「龍樹尊者の身現円月相を表したものです」。しかし、そう言っている表情に生き生きとしたものはなく、言葉は表面的には発していても、本当の意味での語句はなかった(要するに、わかっていなかった)。
 なので、道元禅師は「それではまさに絵に描いた餅ですね」とおっしゃった。
 知客は大笑いしただけれど、その笑いは真の理解があってのものではなく、絵に描いた餅と言われたことに対して的確に返答できてはいなかった。
 引用が長くなってしまった。三十三祖というのは釈尊から大鑑慧能禅師までの三十三人の仏を指している。
 身現円月相とは坐禅している現実の姿であるのに、そのことが、大きな寺の知客という役職の僧がわかっていない。この引用部分のあとには、さらに痛烈なことを道元禅師はお書きになっている。真の仏教は偉大な宋の国でも理解されていないことをお書きになっている。
 地位の高い人、専門家と称される人が本当に正しいのか、は常によくよく考えないといけないと思っている。
 ここの知客は、自分が本当は理解できてはいないと思っているけど、そうも言えないので、上に書いたような道元禅師とのやりとりになったのだろう。
 地位の高い人、専門家と称される人も「実は自分もよく分からない」と言わない可能性がある。見栄、プライドがあるからね。
 あるいは、真の理解はしてないのに、理解していると本当に信じている場合もある。案外こちらの方が多いかも。こちらは、「聞く耳を持たない」ということになる。
 だから、坐禅して、自分自身で判断できるようにしておきたいと考えている。