正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百八

 岩波文庫103ページ「これを急著眼看(きゅうじゃげんかん)せん、たれか直至如今飽不飢(じきしにょこんほうふき)ならん。月は円形(えんぎょう)なり、円は身現なり」
 現実というものをしっかり自分の目なければいけない。そうしなければ、誰が今この瞬間をしっかり掴んで問題なく生きていけるだろうか。月は欠けたところのない円であり、欠けたところのない円というのは坐禅によってこの現実の世界に姿だを現すことだ。
 コロナについて、PCR検査が多いの少ないのと騒いでいる。ネットで色々見てみると、言っていることは立場によって千差万別だ。その人たちの背景が分からないので、どうしてそういう発言になるかは分からないけど、とにかく生きていくのは自分自身なので、自分自身でしっかり現実を判断するしかない。そうしなければ、誰かが何か言う度に右往左往して落ち着くことができない。「今飽不飢」とはならない。
 色々な媒体であれこれしゃべっている人の中で本当にきちんと大局的に、それも専門性が高いものを、きちんと理解できている人が、どのくらいいるだろうか?医師同士の権力争いや目立ちたがりのおっちょこちょいも出てくるだろう。医師と検査技師では立場も違うだろう。その他色々な要素が絡み合って、色んな意見が、次々と湧いて出てくる。
 現実の中で、どう生きるか。大宇宙の真理に従って生きるか、坐禅によって「円は身現なり」とならなければならない。
 検察庁長官の定年延長も同じように私には見える。国家公務員の定年延長に過ぎないという人や政権の横暴だと言う人やら色々だ。色々言う人には、その立場や思惑もあるのだろう。
 こんな他人の言うことにあたふたしたくない。国民一人一人がきちんと生きているならば、きちんとした国家にしかならないはずだと、私は単純に信じている。
 そのためには、坐禅した心身で現実をしっかり把握し、行動大宇宙の真理に従って行動するしかない。
 そういう世界は当分実現することはない、残念だけど。