正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百二十

 岩波文庫106、107ページ「国師の道取する有仏性、それかくのごとし。もしかくのごとくにあらずは、仏道に道取する有仏性にあらざるなり。」
 斉安禅師がおっしゃっている「有仏性」とは、これまで述べてきたとおりである。もし、そうでないということであれば、それは仏道でいうところの「有仏性」ではない。さらに衆生でないものは「有仏性」ではない。
 このあと、道元禅師は斉安禅師の言葉をさらに掘り下げて説かれているが、今回はここの部分だけとしたい。
 大宇宙のすべての存在は「有仏性」、仏としての性質がある、本来、仏である。
 けれど、現実は、今の地球は、あまりよい状況ではないと感じる。コロナは、自然の一部なのでコロナ自体は良い悪いを言う対象ではない思う。
 ただ、前にも書いたけど、人類はどこに行こうとしているのだろう?
 世界で起こっていることを見ると、本来仏であるのに、完全に見失ってしまっているとしか思えない。
 人類は根本に向かおうとせず、ただ、国の利益・主張、根本とは関係ない主義・主張で争っている。自分達が正しいと、むなしく、無邪気に思い込んで。滑稽と悲惨ですな。
 ときどき「もうたくさんだ!」と思うこともあるけど、「いやいや、それではいかん」と思い直して坐禅してます。