正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百二十三
岩波文庫107ページ「しかあれば、一切仏性有衆生なり。これその道理は、衆生を説透(せっちょう)するのみにあらず、仏性をも説透するなり」
そういうことであれば、すべての仏性=有=衆生である。このように考えるならば、衆生とは何かを完全無欠に説明するだけではなく、仏性についても完全無欠に説明できるのだ。
一切衆生有仏性という斉安禅師の言葉から道元禅師が展開をされて、衆生=悉有(すべての存在)=仏性であるという原理原則(言葉として使い方は正しいかな?)に到達されている。
仏教について、いろんなことを言う人がいるし、いろんなことが言える。
けれど、真理は一つしかない。
報道を見たり聞いたり、ネットを覗いて見たりするけど、くたびれてしまいます。
そもそも事実としてどうなっているのかを把握することは至難の技だと経験上身にしみている。事実をはっきり分かっているのだろうか?という言動がたくさん溢れていると思えてならない。
さらに、根本の考え方がどこにあるのかわからない。刹那的に反応しているだけじゃないのかな?と感じることばかり。
坐禅しませんかねえ。