正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百二十四

 岩波文庫107、108ページ「国師たとひ会得(ういて)を道得(どうて)に承当(じょうとう)せずとも、承当の期(ご)なきにあらず。又、自己に具する道理、いまだかならずしもみづから会取(ういしゅ)せざれども、四大五陰(しだいごおん、四大五蘊に同じ)もあり、皮肉骨髄もあり。しかあるがごとく、道取も、一生に道取することもあり、道取にかゝれる生々(しょうじょう)もあり」
 斉安国師は理解していることを適切に言い得てないとしても、言い得るときが来ることがないという訳ではない。また、大宇宙の真理と人間は同じもの(自己に具する道理)であるのだから、今は自分自身では理解していなくても、四大五蘊(地、水、火、風と色、受、想、業、識)という現実の世界の構成要素とそれを受けての人間の具体的な肉体・精神の作用があるのだから、その現実の中で生きている間に適切に言い得ることもあるし、適切に言おうとして生きていくもある。
 私は、ここのところを読むと希望が出てくる。この現実の世界で生きていれば、大宇宙の真理を体得できると励まされている気がする。もちろん、坐禅していなければ駄目だけど。この四大五蘊という現実の中で生きる、瞬間瞬間行動する、ということが重要だと思っている。
 五蘊を苦であると説明されることがあるけれど、私には理解できない。
 私はちゃんと勉強してないんだから、専門家の人は怒らないでね。
 今、私は心身ともに不調だ(コロナではないよ)。仕事についても、組織のやることには疑問符だらけだ。
 けれど、この現実の中で坐禅して生きていれば、私は間違ったことをせず、何とかなると思っている。
 話を逸れるけど、アメリカでは差別をきっかけに暴動が起きているという。差別に抗議するのは当然として、何で暴動になってしまうのだろう?物を破壊したり、略奪したりしちゃ、駄目なんじゃないの?みんな低レベルと感じてしまう。さすがに暴動はよくないと批判している人たちもいるようだけど。
 中国が、批判的に報道してるようだ。
 目糞鼻糞を笑うという感じだけど、当分このようなことが続くのは間違いない。
 何とか本来の面目に戻る方向に行くことを願っているけど。