正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百三十六

 岩波文庫111ページ「これすなはち百丈の道処ならり。いはゆる五蘊(ごうん)は、いまの不壊身(ふえしん)なり。いまの造次(ぞうじ)は開門なり、不被五陰礙(ふひごおんげ)なり」
 これが百丈懐海禅師のおっしゃるところである。五蘊(色受想行識)この大宇宙の構成要素(人間の精神作用も含め)は、現在の身体、客観的な存在物であり、これは大宇宙と一体であるから、壊れるとか壊れないなどという対象ではない。この瞬間(造次)においては門が開かれているように自由自在であり、五陰(五蘊と同じ)に邪魔されることもない(大宇宙と一体なのだから邪魔する、しないということではない)
 人間は本来、大宇宙と一体なのだから、自由自在に正しいことができる。
 だけど、今の世の中は、国という枠、人種という枠、宗教という枠とかをこしらえて、どこが強いか必死に(健気に)戦っている。
 そして、残念ながら、戦う道具として最も重要なものは軍事力(背景として経済力)になっていると思っている。
 北朝鮮は国を守るために核兵器を持ったし、軍事的な示威行為を繰り返している。中国とインドも衝突し死者が出たという。シリアはずっと内戦を続けている。
 坐禅して大宇宙の真理を体得しましょうと言っても、聞く耳はないのは間違いない。長い長い時間が必要だ。それまで、人類が破滅しなけりゃいいけど。(破滅する自由もある)
 とりあえずは、それぞれの経済的利益の確保だとか、今の枠組みの当面の存続だとか、現実を見据えた施策を打つしかないのかな?と思う。でも、誰かやるんだろう?
 どうも、危ない感じがする。
 私は坐禅して毎日生きていきます。一人一人がちゃんと生きられないのに、世界が良くなるはずはないから。