正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百五十九

 岩波文庫116ページ「この因縁を挙(こ)して、潙山(いさん)、仰山(きょうざん)にとうていはく、「莫是黄檗搆他南泉不得麼(もしおうばくこうたなんせんふてま、是れ黄檗他(か)の南泉を搆(こう)すること得ざるにあらずや)」。仰山いはく、「不然。須知、黄檗有陥虎之機(然らず。須(すべから)く)知るべし、黄檗陥虎之機有ることを)」潙山云(いはく)、「子見処、得恁麼長(ていんもちょう)(子(なんじ)が見処、恁麼(いんも)に長ずることを得たり)」
 この問答を取り挙げて潙山霊祐禅師が仰山慧寂(えじゃく)禅師に質問して「この問答をみると、黄檗禅師は南泉禅師のいうことをとらえることができなかったのではないか」と言った。仰山禅師は「そのようなことはない。黄檗禅師は虎をも陥れるだけの力量があると知るべきである。」潙山禅師は言った「お前の考えは、言葉では言い表せない何か(大宇宙の真理)を身に付けているということができる」
 ちょっと長くなってしまったけど、黄檗禅師が黙ったことについて潙山禅師が弟子の仰山禅師を試す(?)問いをしたことに対し、仰山禅師の答えを大宇宙の真理を身に付けているものだと潙山禅師が評価したということだろう。
 虎を捕まえる力量なのだから、凄いということなのだろう。虎は大宇宙の真理のことと理解してもいいように思う。
 最近の政治や米中の喧嘩を見ていると「陥虎之機」があるようには見えませんなぁ。まあ、現実には利害関係、思惑、私利私欲などなど複雑怪奇、魑魅魍魎の世界なんだろうけどね。