正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百七十四

 岩波文庫119ページ「この道旨は、「為他有」は「業識」なり」
 趙州の言葉の意味は、有るとか無いとかというのは、過去の経験の積み重ねにとらわれているということである。
 自分も年取ってくると、昔はこうだったなんて思ったりする。若い頃は、年上の人間が「俺らの頃は」とか「そもそもこうやって来たんだ」とか言われると、物凄く腹が立った。あんたらと自分たちは違うんだよ!何を偉そうに言ってやがんだ!それが今正しいとは思えん!と思いました。
 だから、自分はそうならないように気を付けているつもりだけど、大丈夫か自信はない。
 人間生きてくると、色々汚れがくっついてきて、本来の面目を見失い、大宇宙の真理を感得することができなくなってしまう。坐禅してそうならないようにせねば。
 何だか、うがい薬(ポビドンヨード)がコロナに有効とか言ってるみたいだけど、ほんとですかね?感染した人がうがいすれば、口の中のウイルスは減るんだろうとは思う。だけど、予防にはなるのかな?(予防できると言ってるのかどうか知らないけど)私は皮膚が弱いので、うがい薬でうがいすると喉が荒れちゃうんですよね。そうすると、逆効果になっちゃう。
 まあ、あんまり、わずかな事例だけで大騒ぎしない方がいいと思いますけどね。特に政治家が言うと、ばんばん売れて製薬会社大喜び、なんてことになるんだし。
 坐禅して、どうすりゃいいか、体感、感得しようと思ってます。