正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百八十一

 岩波文庫120ページ「すゝみて仏有(ぶつう)を学すべし」
 自ら一生懸命に仏有、仏としての存在、仏が有るとはどういうことかを学ばねばならない。
 一切衆生悉有仏性。一切衆生=悉有=仏性なのだから、仏が有る、仏としての存在とは、ここでは狗子(犬)を材料にしているけれど、「お前自身の存在とは何だ。仏という観点からみたらどうなんだ」と問われている気がする。
 私は私として、毎日生きている。瞬間瞬間どうなるかわからないが、生きている。正しいのかどうかはわからない。私とは関わりたくないという人間もいるから、正しくないのかな。
 ただ、「正しさ」って何なんだろう?歴史をみても、時代時代で価値観、正しさはくるくる変わっているように思う。コロナにしても何年か経ったら「必要以上に大騒ぎしてたなあ」なんてなるかもしれない。
 私は坐禅しながら、そのときの直観(智恵というとおこがましいですが)に従って生きていくしかない。たとえ、お前なんか嫌いだと言われたとしても。