正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その二百九

 岩波文庫123ページ「この道得(どうて)は審細にすべし」
 この言葉(みみずが切れたのか、仏性が切れたのか)は、慎重に詳細に検討しなければいけない。
 今は言葉がインターネット上に溢れている。また、情報媒体も様々で大量の情報を流している。言論の自由は絶対に守らなければならない。一方で「この人はそもそも何を知っているのだろう?」とか「この程度の知識でこんなこと言って大丈夫なのだろうか?」と思うことも多い。
 一体、何のための発言なのだろうかと思うことも多い。
 「審細にすべし」と思う。
 「自分が」「自分は」と声高な人たちが多いような気がする。「自分」に囚われると、大宇宙の真理からはどんどん遠くなってしまう。大体「自分」って何なのか?
 人間の価値は瞬間瞬間の行動(当然言動も含む)で決まる。「審細にすべし」そのためには、坐禅しなければならない。そう信じている。