正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百二十五

 岩波文庫123ページ「仏性の論におよばず、両頭の論におよばず、たゞ妄想なしと道取するか、とも参究すべし」
 (長沙禅師が「妄想することなかれ」「莫妄想」と言ったのは)仏性のことを論ずる必要はない、二つに切れたみみずのことをどうこう言う必要はない、ただ妄想するなと言ったのか、等々修行し考えなければいけない。
 人間の思考は重要だ。一方で、その思考が戦争を引き起こし、殺人を引き起こし、憎しみを生みだすのも、間違いのない事実だ。歴史がそれを証明しているし、現在目の前に展開されている社会を見てもそう思う。
 私自身が考えていることにしても、「おかしい、間違っている」と言う人はいるだろう。現実に私を否定している人も身近にいる。
 思考が正しいか、その思考に基づいた行動が正しいか、判断することは難しい。ただ、いつも書いているように、最期は大宇宙の真理に帰結することだけは間違いない。
 坐禅して、心身をバランスさせ、廻光返照し、本来の面目に立ち戻って、普通に瞬間瞬間一生懸命行動するしかないと思っている。その積重ね以外に人類の未来はないと思っている。