正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その百三十二

 岩波文庫124ページ「風火未散といふ言語、しづかに功夫すべし。未散といふは、いかなる道理かある」
 風火未散という言葉を落ち着いてよく考えなければいけない。未散というのはどういう意味なのか。どうして未散と言ったのか。
 道元禅師は重要な箇所について、色々な角度から解説をなされる。私も仕事の上で、色々な角度から考えねばならないとは思っているけれど、中々難しい。この後の道元禅師の解説の展開はすごいと思う。
 世の中は、そう簡単に理解できるものではないと思う。しかし、理解することが難しい世の中で生きていかなきゃならない。
 そのために坐禅して大宇宙の真理を感じる必要があると思っている。
 そして、この間書いたけど、因果の法則と刹那生滅の道理の二つが大事だと思う。
 因果というのをオカルトのように扱う人がいるけど、原因と結果ということなので科学的な考え方。何かをすれば必ず結果がある。結果が現れるのに時間がかかる、とても長い時間がかかることもあるけど必ず結果は現れる。自分が生きてきた中でもそれは間違いないと断言できる。良い結果も悪い結果も体験している。これからもそうだろう。因果の法則は絶対だ。
 一方、刹那生滅の道理は、瞬間瞬間生まれては滅するということで、瞬間瞬間人間は行動していく、瞬間の行動は行った瞬間に過去のものとなり、新しい行動をすることになる。瞬間においては、人間は自由だし、物事は変化していく。
 この二つの考え方の組合せを私は西嶋氏の提唱で学んだ。私は納得ができた。
 今、何かと自殺が話題になるけど、この考え方、特に刹那生滅の道理は大事な考え方だと思う。常に変化するのだから、現状を固定的に考えて悲観しなくてよいのだから。
 そして、この考え方を真に活かすためには坐禅が必要だ。