正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その四

 岩波文庫127ページ「仏道を学するに、しばらくふたつあり。いはゆる心(しん)をもて学し、身(しん)をもて学するなり」

 仏道を学ぶのにはとりあえず二つの方法がある。心で学び、体で学ぶのである。

 心身一如(しんじんいちにょ)つまり心と体は一つのもので切り離せない、物心一如(ぶっしんいちにょ)物質と心は一つのもので切り離せない、というのが仏教の思想だと思っている。

 だから、仏道を学ぶということは体と心で学ぶということになるのだ。坐禅して正法眼蔵を読むのだ。坐禅した身心で日常生活の瞬間瞬間を一生懸命に生きるのだと思っている。

 水泳のオリンピック候補選手が不倫したとか。身と心がばらばらで、訳の分からないことをやってしまったんだろうと、私は思う。

 しかし、驚いたのは、スポンサー契約だか何だか知らないが、年間1億円だとか。スポーツに価値はあると思うけど、そんなにまでしなきゃいけないというのは、どうなのかなと思う。オリンピックって何のためにやってるんですかね。なんだか、ものすごいお金が動いて、利得が絡まりあっているようなイメージがある。

 心身一如の一環としてスポーツをするなら、そんなに金をかけること自体変だと思うし、お金のためにやるならプロスポーツとしてやればいいんじゃないかと思ってしまう。そそらく崇高な理想とどうしようもない下世話な欲望の世界が複雑怪奇に絡まりあっているんでしょうね。

 オリンピック選手だろうが何だろうが、人間の価値は「普通に生きられること」これしかない。普通とは何度も書いているけど、大宇宙の真理に従って生きること。そのためには、坐禅して正法眼蔵読むしかない。