正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その八

 行李(あんり)とは、行動、日常生活の瞬間瞬間の行動。西嶋和夫氏が書いておられるとおりだと私は思っていて、人間は「理想、観念」だけでは生きられないし、かといって「唯物論的に結局は物質だ」としてしまえば殺伐としてしまう。理想(主観)も物質(客観)も大事だが、人間の価値は行動で決まる。行動が大事だといっても、どう行動すればいいのか。それは、坐禅した身心で行動すれば間違いはない。だから「身心学道」なのだ。そう思っている。

 今裁判している政治家にしても、不倫したとかで騒ぎになっている水泳選手でも、結局は日常の行動がよろしくなかった、ということに尽きる。

 組織の中で一定の地位にいても、何かあったときに日頃の行いが悪ければ、部下をはじめ周囲の人間はあっという間に離れてしまう。

 だから坐禅して心身を整え、行動しましょう。