正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その九

 岩波文庫128ページ「たとひいまだ真実の菩提心おこらずといふとも、さきに菩提心をおこせりし仏祖の法をならふべし」

 たとえ、まだ真に真理・真実を知りたい、大宇宙の真理を知りたいという心が起こらないということであっても、過去において菩提心をおこされた仏祖といわれる方々がなされた方法を学べばよい。

 本当に切羽詰って追い込まれた、生死を考えたという状況にまで至らなくとも、人間って漠然とこれでよいのかな、と思っている人は多いのではないだろうか。それであれば、正法眼蔵を読み、坐禅をしてもらいたいなと思う。

 坐禅した瞬間に仏になる。毎日坐禅していれば仏であり続ける。西嶋和夫氏の書いておられるとおりだと思う。坐禅した身心、仏となった身心の残像というか、余韻が消える前にまた坐禅をする。スポーツ選手が毎日トレーニングを欠かさないのと同じだと思う。身心が感覚を忘れないように体を整えている必要がある。

 坐禅して悟りを開くのではない。悟りを開くという目的のために坐禅をするのではない。坐禅はそんな安っぽい手段ではない、そう信じている。年に何日間が朝から晩まで坐禅するのもいいかもしれないが、その期間以外坐禅しないのなら全く意味がないと思う。

 坐禅すれば仏になれる。普通の、本来の人間になれる。人類が、地球が救われるためにはそれしかないと思っている。

 核兵器禁止条約の批准国が50か国となったので2021年1月に発効予定となったとのこと。良いことだとは思う。しかし、現在の核保有国が核兵器を廃棄することはありうるのだろうか。以前から何回も書いているけれど、現在の人類は軍事力なしに国を維持するというレベルには達していない。いったん核兵器保有してしまったら、すべての核兵器保有国が廃棄しない限り、絶対に廃棄などしないだろう。本当に廃棄したかの確認などできるのだろうか。自国の利益を最大化しようという大国が争っているのだから、なおさらだ。

 本来の人間は人を殺せないもの、他人を傷つけたり、物を破壊したりできないもの、それが「普通の人間」「本来の面目」だ。そこに全人類が到達する必要がある。そのためには坐禅するしかない。

 まあ、当分だめだろうなあ。その間に人類が滅亡しないことを祈る。坐禅してください。