正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その二十五

 岩波文庫129ページ「色(しき)にかかるあり、空(くう)にかかるあり」
 (山河大地といっても)物質の世界にあるものもあり、観念的・抽象的(頭の中)の世界のものもある。
 「空」については、水野氏の訳では「空間に存在する」とされているが、私は西嶋和夫氏の解釈の方が分かりやすい。
 私は観念的・抽象的であることを全面的に否定するものではない。人間の頭の働きは重要であるに決まっている。しかし、それに振り回されてはいけない。現実・事実の中で、どう行動するか、そのときに思想や理想をどのように活かすかが重要だと思っている。観念・抽象だけではだめ、現実・事実を把握するだけでもだめ。両方を合わせて行動するかがすべて。そして坐禅していれば大宇宙の真理に従って間違った行動はしない、というよりできない。信じてもらえないだろうけど、本当です。
 だからと言って私を非難し、嫌う人がそれなりにいるのも事実だ。それは事実なんだからしょうがない。受け入れるしかない。私は、人に嫌われないために生きているのではないのだから。
 なんだか社民党とやらが「内紛」のようになっているらしい。私は、世界の情勢、日本の情勢はとても厳しい。この後どうするのか、本当に真剣に対応していかなければならないと思っている。そんな中で、たった4人の国会議員同士で喧嘩しているって、まあ、呑気な人たちだなあと思う。大体、国民の信頼を得られる活動ができていないから、今のような状態になったのだろう。政党としてそこはどうなんだろう?あいつが悪いのどうのとに罵っているなんてレベルが低すぎないだろうか。立憲民主党とやらに合流するらしいけど、政党ってそんなに「軽い」ものなんですかね。
 日本は民主主義だから選挙で選ばれた政治家に私は期待している。というか政治家がきちんとした政治をすることで、国のあり方は決まると思うからだ。
 ただ、その前提として、国民一人一人が日常生活の瞬間瞬間をきちんと行動していなければならない。
 坐禅しましょう。