正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その三十七

 岩波文庫131ページ「鼻祖鼻末(びそびまつ)にあまる、向上向下にあまる。展事あり、七尺八尺なり。投機あり、為自為他なり」
学道は、古い祖嗣であるとか今現在学んでいる者などということを問題にしないものであるし、さらに仏道を学んでいこうあるいはまだ十分に学んでいない者に手を差し伸べるというようなことも超越している。現実の世界で色々なことを行動していくわけだが、それは具体的な現実であって七尺八尺というように具体的に表せるものである。自ら行動していくわけだが、それは自分の為でもあり自分以外の世界の為でもある。
 展自投機について、水野氏は岩波文庫168ページの脚注で「展自は学人が自己の境地を述べること。投機は師が弟子の進境に応じて教えを垂れること」とされている。仏教の用語としては、当然こちらの方が正しいのだろう。
 ただ、私は今自分が生きている実感として上記のように思う。これは西嶋氏の解釈に沿ったものである。
 仏道を習うというのは、私にとっては机の前に座って本を読むことではない。対人恐怖気味なので、正しい師匠を探す気もない。ただひたすら坐禅して、正法眼蔵を読みながら、日常の一瞬一瞬を生きていくことだと思っている。
 組織においても立派な企画は出すけれど、現実にそれをどのように実行していくのかということになると、ふにゃふにゃな感じのものになってしまう人が結構いる。
 GOTOが怪しからんという風潮が強いようだけど、日本国全体を見たときに、どうなんだろうか。本当に悪なのか?私はコロナ自体の危険性を具体的に詳細に説明を受けてないと思えて仕方がない。マスコミは何だか分からんけど大変だ大変だと騒いでいる。キャスターだとかコメンテーターとかいうおっちょこちょいが、頓珍漢なことを言っているとしか見えない。ネットでは、色んな意見がてんこ盛り。
 訳の分からん人のコメントなんて要らないので、コロナの危険性(致死率だとか感染力だとか)や現在の失業者数だとかの経済の状況だとか、数値を体系的にきちんと出してもらえませんかねえ。判断は自分でするから。
 大体GOTOと言ってもコロナの問題が解決した訳じゃないのだから、ほいほい大挙して出かけるというのはどうなんですかね?そして感染予防もちゃんとしてないなら拡大するに決まってると思うけど。感染予防に気を付けずに旅行に行ってる人たちが多いなら、お馬鹿さんとしか言い様がないんじゃないか?
 それに歴史的に世界や日本を見ても、政治が正しいことだけをしてきた訳じゃないなんてことは山のようにあると思う。
 坐禅して大宇宙の真理に従って、自己責任で生きていくしかない。勿論、政治が良くなることは期待するけど、自分自身が日常生活をちゃんとできないのに、政治はちゃんとやれって言うのはむしが良すぎると思うけどなぁ。