正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その六十二

 岩波文庫135ページ「たとひ威音王(いおんのう)よりさきに発足(ほっそく)学道すれども、なほこれみづからが児孫(じそん)として増長(ぞうちょう)するなり」
 たとえ威音王(釈尊の遥か以前に出現したという仏)よりも前に、この世に生まれて仏道を学んだとしても、やはりこれも大宇宙の真理を学ぶことが自分自身の子供や孫までずっと増え長く続いていくのである。
 私は威音王がどういうものかとか興味はない。いろんな如来とか菩薩とか出てくるけど、仏教を広めるための物語だと思っている。
 大宇宙の真理は絶対のものだから、宇宙が誕生した、あるいはそれ以前から存在する。存在するというのもおかしいかな?変な言い方かもしれないが大宇宙の真理のもと大宇宙がある。ある時突然大宇宙の真理が生まれたなんてことはない。ずっと存在し続けているのだ。
 だから、大宇宙の真理を学ばなければいけない。過去から未来永劫不変である絶対の真理なのだから。
 世の中いろんなことが起こる。当たり前だ。コロナも大騒ぎしているけど、過去にだって伝染病の流行はあっただろう。細菌兵器だって開発され、持っている国はあるに決まっている。日本が標的にならないなんて誰も保証できないだろう。
 自衛隊は細菌兵器で攻撃受けた時の対策は持っているんじゃないかと思う。持っていないとしたら、楽天的に過ぎる。
 今のコロナの感染拡大だけを本当に封じ込めたいなら、戦時下の対応みたいにするしかないように思うけど。
 でも、政府も自治体も、それほど深刻でもないし、経済を回すことにも注力する、と言っているように見える。なら、感染拡大は容認した、ということじゃないの?そう言えばいいのに。
 拡大すれば、医療は限界に達する。それも当然だろう。限界に達したときどうするのか、それこそ政治家は「棄身」「捨命」して判断し、実行せねばならない。
 なんだか普通のことが普通に出来てないんじゃないかと思われて仕方がない。政治家だけではなく、国民も。
 ここまで来れば、気を付けていたって感染するリスクは不可避だろう。私も感染することはあるだろうと思っている。
 どうなろうと坐禅して普通に対応していくしかない。それしかない。