正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その七十五

 岩波文庫137ページ「ゆゑいかんとなれば、いまだ生をすてざれども、いますでに死をみる。いまだ死をすてざれども、いますでに生をみる」

  (日常生活は生死の繰り返し)それはどういうことかというと、今この瞬間生きているとしても、今という瞬間はその瞬間に消え去る=死ということになる。瞬間、死を迎えたとしても今この瞬間は生きている、ということである。

 瞬間瞬間の生死、行動の積み重ねしかない。その積み重ねが因果の法則により結果を出す。良くなるか、悪くなるかは、積み重ね次第。よく日頃の心掛けというけど、そういうことだと思っている。

 格好いい構想、将来像を得意気に披露したって、今この瞬間の行動がろくでもないものなら、話にならない。

 人間の価値は今この瞬間の行動にある。そしてその積み重ねにある。

 瞬間瞬間一生懸命、丁寧に行動していこうと思う。坐禅しながら。