正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その八十二

 岩波文庫139ページ「去来は尽十方界を両翼三翼として飛去飛来(ひこひらい)す、尽十方界を三足五足として進歩退歩するなり」

 生死は瞬間瞬間去っては来る去っては来るのだが、その有り様は大宇宙全体そのものを二つの翼三つの翼として飛び回るのであるし、大宇宙全体を三本の足、五本の足としてある時は前進し、ある時は退くのである。

 一人の人間が瞬間瞬間日常生活をおくっていく、そのことは偉大なことなのだ。道元禅師はそのことを雄大な表現で書いておられる。

 人間は大宇宙そのもの。だからその行動は大宇宙を翼や足として使いこなしているということでもある。だから、行動がおかしなものであれば、宇宙もおかしなものになってしまう。

 だから坐禅して心身をバランスさせ大宇宙と一体となることを体得しなければいけないのだ。そう思っている。

 引用した部分で「退歩」とあるが、これはマイナスのことではない。現実の世界ではただ進むだけではなく、立ち止まったり、退くこともある。大宇宙の真理に即した行動であればいいのだ。

 森喜朗という元総理大臣が変なことを言ったとして物議を醸している。その瞬間に変なことをしてしまうのは、私に言わせれば坐禅してないから、大宇宙と一体となっていないから。その瞬間に適切な行動ができない人がオリンピックの関係では偉い人というのは不思議な気がする。辞職すると言ったら周囲が慰留したというんだから、本当は立派な人なのかな。まあ、オリンピックを巡っては色んな思惑とか、利権とかも絡んでいそうだし、その中では適切な人なのかもね。

 いずれにせよ、大宇宙の真理に従った結果が出ることになる。それがいつなのかはわからないが、それは絶対のことだ。