正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 身心学道その八十四

 岩波文庫139ページ「飜身回脳するに、如一銭大(にょいっせんだい)なり、似微塵裏(じみじんり)なり」

 大宇宙と一体である身を翻し、頭をフルに使って瞬間瞬間行動していくということは、尊いことではあるけれども、しかしこの現実の中で生きているという点では、一銭の貨幣のように具体的なことであるし、非常に細かいものの中で現実に行動するということである。

 何度も書いているけれど、仏教は現実の世界でいかに行動するか、大宇宙の真理に即して行動するか、を目的にしていると思っている。大宇宙と一体となるということは、壮大なことであると言えると同時に、一体となった身心を使って日常生活の細々とした現実の問題にきちんと対処するということでもある。

 だから、仏教に神秘的なもの、霊的なもの、超能力みたいなものを持ち込むのは間違いだと信じている。

 そんなものはいらない。日常生活がきちんと送れればいい。そしてこのことは至難の業なのだ。世の中で報道されていることなど見ていると、いかに普通のことが普通にできない人が多いか、分かると思う。

 どんなに地位があっても、過去の業績があっても、普通のことが普通にできないんじゃ話にならない。

 女性蔑視、差別が問題になっているけど、大宇宙の中では差別などは存在しない。すべては大宇宙そのものなのだから。ただ、人間の現実の世界では、そうなっていないという事実がある。それは大宇宙の真理に即して是正される。今はその修正の過程なのだと思う。人類は大宇宙の真理に行き着く。行き着けなければ滅亡する。そう信じている。