正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 即心是仏その十六

 岩波文庫146ページ「「即(そく)」公案(こうあん)あり、見成(げんじょう)を相待せず、敗壊(はいえ)を廻避(ういひ)せず」

 今の現実が法(大宇宙の真理、公案)なのであるのだからそれが現れるのを待つ、あるいは現実と自分は一体なのだから相対的な関係ではない、また現実が移り変わるのも事実であってそれを避けようとする必要もない。

 現実の中で一生懸命行動するのみ。理屈ばかり言っていてもしょうがない。ただ、行動するといっても、それが大宇宙の真理に即していなければいけない。そのためには坐禅するしかない。究極的にはこれだけといってもいいと思う。

 人間というものは摩訶不思議な考えを持ち、かつ実際に行動してしまう。ママ友だか何だか知らないがそんな人間の言うままになって子供を餓死させたりする。子供を虐待する。国益のために武力をちらつかせて威嚇しようとする。正直言ってまともな精神状態ではないと私は思う。ただ当事者にとっては命懸けの重大事なのだろう。

 いつまで、そんな愚かなことをするつもりなのだろうか?まあ当分駄目だろうなあ。

 坐禅しませんか。