正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 即心是仏その二十

 岩波文庫147ページ「かくのごとくの参究、まさしく即心是仏、まさしくこれを挙(こ)して即心是仏に正伝するなり。かくのごとく正伝して今日にいたれり。いはゆる正伝しきたれる心(しん)といふは、一心一切法一切法一心なり」

 このように学んでいくことが、まさしく即心是仏ということであり、この即心是仏によって即心是仏を正しく伝えるのである。このように正しく伝わったものが現在に至っているのである。この正しく伝わってきた「心」とは、大宇宙が心そのものであり一切の存在が心である。一切の存在と心は同じものなのである。

 人間を含めた一切の存在は大宇宙と一体である、大宇宙そのものである。それを体得することが仏である。

 仏教は雄大なものだと感じる。雄大というのはこの日常生活の現実の瞬間瞬間を一生懸命生きるということだと思っている。

 なんだか今の世の中、小手先のテクニックというか、詭弁というか、底の浅いことが多すぎないですかね。今この瞬間大宇宙を生きているという感覚がないんだろうね。

 神奈川県知事が、都知事に「他の2人の知事も賛成している」と言われたから政府に要請したけど、都知事の言ったことは嘘だったみたいなことを言っているらしい。ほんとかどうか知らないけど、嘘つく方も悪いけど、まんまと騙されちゃう知事というのも情けない気がする。他の知事がどうであれ自分はこうだと意見すればいいんじゃないのかな?自分で他の2人の知事に直接確かめるとかもできたろうに。

 何だかこんなレベルの知事たちが緊急事態宣言なんて言っても「ありゃま」という感じ。

 感染拡大するような行動をとる人間がいる限り感染増加は止まらないだろう。当たり前。政治家が言うからとか、法律があるからではなくて、自らどう行動するかを考えるしかないとは思うけどねえ。坐禅すればいいんだけどね。