正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 即心是仏その二十五

 岩波文庫148ページ「山河大地心は山河大地のみなり。さらに波浪なし、風煙なし。日月星辰心は日月星辰のみなり。さらにきりなし、かすみなし」

 山河大地=心なのだから、山河大地以外に何もあり得ない。波風があるとか無いとか人間が頭の中で余計なものを付け加える必要はない。太陽・月・星=心なのだから、太陽・月・星があるだけである。霧や霞など人間が頭の中で付け加える必要はない。

 現実・大宇宙をありのままに見る。書けば簡単だが現実には相当難しい。政治家やメディアやネットを見ても何が本当なのか、よく分からない。人間の思惑が介在する以上仕方ない。しかし、現実に今この瞬間を生きるためには、何が起こっているかどうするかを瞬間的に判断しなければいけない。直観。これを可能にするのは坐禅だけだ。

 今はつべこべ言葉だくさんで、ちっぽけな考え・見方にとらえられ、現実を見失って宙に浮いてしまっている世の中に見えてならない。

 オリンピックにしてもコロナにしても、いろんな言葉は溢れているけれど実態として具体的にどうなっていてどうするのか、さっぱり分からない。

 波や風や霧や霞がメインになってしまって、大宇宙=山河大地・日月星辰を見失っている。

 政治やメディアが正常になるためには、一人一人が正常=普通になるしかない。そのためには坐禅するしかない。