正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その八

 岩波文庫152ページ「一念を経歴(きょうりゃく)するに、なほいまだ解脱の期を期せず、いたづらに錯解(さくげ)す」

 一瞬の短い期間を過ごしても頭の中の考えに因えられ、そこから解放される時期を逃し、ただ無駄に誤った考えから抜け出せずにいる。

 一つの考えに凝り固まった人に「あなた、それ間違ってますよ」と言っても、まず無駄。逆に食ってかかられたりする。政治家とかメディアとか権力者が相手なら、どんな意地悪・いじめを受けるかわからない。恐ろしい。凝り固まればオウム真理教のように殺人が正しいことにもなる。

 歴史を見ても人類というのは、実に容易に偏狭な考えに凝り固まり、考えの違う人たちと戦い、殺しあってきたということが分かる。

 現在だって、その点少しも進歩などしていないのではないだろうか。訳の分からない考えに固執し、現実を客観的に見られず、意見の異なる人間を攻撃している。個人レベルでも、国家レベルでも変わらない。中国がサイバー攻撃を仕掛けてきたそうな。日米が色々打ち出しているから、当然反撃するだろう。今の人類のレベルでは仕方ないが、本当に人類が目指すべきは、中国とかアメリカとかいう国家レベルの問題ではないだろう。大宇宙の真理に到達すること以外にないと思うが、かなり長い間いがみ合うんだろう。戦争とか馬鹿な選択にならなきゃいいけど。けど、現実を見ているとねえ。まさに「なほいまだ解脱の期を期せず、いたづらに錯解(さくげ)す」だ。

 世界の人間一人一人が坐禅し大宇宙の真理と一体となるしかないけど、そんな風にはなりそうもないなあ。結局戦って、勝った方の主張が通るという方法しかとれないのかなあ。愚かだけどこれが現実だ。

 だけど諦めずに坐禅続けます。坐禅が広まらないかなあ。