正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その十

 岩波文庫152ページ「縛々綿々として樹倒藤枯(じゅとうとうこ)にあらず。いたづらに仏辺の窠窟(かくつ)に活計(かっけ)せるのみなり。法身(ほっしん)のやまふをしらず、報身(ほうじん)の窮(きゅう)をしらず」

 頭の中の考えに縛られることが綿々と続き、樹木が倒れればそれに絡みついて生きている藤も枯れる、つまり物事の核心・真実に至らないのである。無駄に仏教の周辺にある穴蔵で暮らしているだけなのである。本来この身に備わっている法に気付かず病気のような状態になっていることをしらず、自分自身の身が窮していることを知らないのである。

 坐禅して大宇宙の真理と一体となるそのことをせず、ただ頭の中であーでもないこーでもないと考え、その考えに囚われ、真実・根本が分からず、訳の分からない正気ではないことをしたり、自分自身を窮地に追い込んでしまっているなんてことは、世の中にいくらでもあると思っている。

 コロナだって、緊急事態宣言出した→少し感染者減った→宣言解除→感染者増→宣言出す、この繰り返し。ワクチン接種の本格化はこれから、治療薬も決定的なものはないなら増加を防ぐしかないのだろう。この見通しはどうなっているのか私は知らない。だから「宣言を出す」なんて威張って(行ってる本人は威張ってるつもりはないのだろうけどそう見える)言うようなことじゃなかろうと感じる。

 また、ここまで感染が広がっていれば保菌者はたくさんいると考えるのが普通じゃないのかな。PCR検査でも1回目は陰性で、2回目で陽性になるケースも結構あるというし。だから、いつ誰が発症したって不思議じゃないんかなかろうか。やれることは、リスクの高い行為をしないくらいだろう。

 頭の中で「コロナコロナ」「緊急事態緊急事態」とおろおろしたってしょうがない。

 要は行動が重要ということ。コロナの終息のための行動計画が見えないのは、やはりよくないと思う。

 坐禅してたってコロナになる可能性はある。坐禅は超能力じゃないんだから。ただ、現実をしっかりと受け止めて、どう行動したら良いかが直観として分かるだけだ。

 最近の報道(全面的に信じていいかは疑うけど)を見ると、日本はアメリカと同調して対中国の姿勢を変化させてきているように見える。これは中々大変だ。経済の中国依存は相当あるしね。アメリカも好きではないけど、最近の中国の振舞いは正直いかがなものかと思う。最終的にはどのような世界を望むのか一人一人が判断しなきゃならない。

 正しい判断するためには坐禅するしかない。