正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その十八

 岩波文庫154ページ「修証の不染汚なるにはあらず、この不染汚、それ不無なり。」

 修行とか悟りとかを汚されることがないと観念で取り扱うものではない。不染汚なのは行動である、その行動というものは、現実の世界のことであるから、「無い」ということはない。

 行動に真理が具現化される。能書きはいいからしっかり現実の世界で行動せよ、ということ。

 そしてその行動の基準は坐禅によって大宇宙の真理と一体となることでしか得られない。

 コロナも能書きはもういいから、具体的なアクションプランをしっかり示してほしいなあ。言葉はもういいよ。虚しさが募るだけだ。