正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その二十二

 岩波文庫154ページ「如汝是汝(にょにょぜにょ)、諸仏諸護念、これ行仏威儀なり。」

 自分以外の存在(汝)は「こういうもの」と決めつけることはできないが存在していることは間違いなく、それは「汝」としか言えない(是如)、そのような汝が坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動する。それが仏と言われる方々が護り念じていることであり、その行動に威儀が備わるのである。

 IOCの会長の来日が延期になったとか、「小室さん」とかいう人の文書があーだこーだ批判されている。本当のところは私にはわからないが、どちらも観念的な言葉で何とかなると思っているように見える。何回も書いたけど人間の価値は、今この瞬間にどう行動するかにしかない。行動するところに威儀が備わる。逆に言えば、どんなに言葉を費やしても、行動が無ければ威儀は備わらない。威儀の無いことが社会に支持されるとは思えない。

 坐禅しましょう。