正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その二十六

 岩波文庫155ページ「行仏の去就これ果然として仏を行ぜしむるに、仏すなはち行ぜしむ。」

 坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動しているその一つ一つの振る舞いが、現実に明白に仏としての行動を取らせることになるのだから、仏は仏として行動するしかないのである。

 行動するかしないか。行動が正しいか。オリンピックをやるとかやらないとか、ワクチン接種が進まないとか、緊急事態宣言を解除するとかしないとか、具体的な行動計画、根拠を具体的に示しての行動計画が示されているとは思えない。みんなでワーワー言ってるだけ。与党はけしからんと野党は言ってるけど、野党の行動計画って何なのかわからん。基本理念が違う政党が協力するとか言ってるけど、理念ってそんなに薄っぺらくて軽いものなんですかねえ。

 一人一人がリスク軽減を意識するしかないんでしょうねえ。

 しかし改めて生きるってどういうことなんでしょう。コロナが考える機会になるとも思いますが。

 考えるための前提は坐禅ですよ。