正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その三十四

 岩波文庫156ページ「すでに恁麼保任(いんもほうにん)するに、諸法・諸身・諸行・諸仏、これ親切なり。」

 頭の中の理想とこの体で行動することが一体となっているならば(恁麼保任)、世界の神羅万象、あらゆる肉体を持ったもの、あらゆる行動、あらゆる仏(真理を体得した人)は、自分自身と一体となっている。

 理想・思想と行動が一体となったところに絶対の価値がある。

 ここで問題になるのは、理想・思想が正しいのか、ということだ。人殺しにも犯人なりの考えがある。戦争だって対立している双方に「自分たちが正しい」とする考えがある。日本の報道機関にも「自分たちが真実・正義を伝えている」という信念がある。政治家には「自分の理想とする社会を実現する」という信念がある(たぶん)。これらが正しいのか?ここが肝心なところだ。

 道元禅師は「頭の中でいくら考えても真理には到達しない。坐禅して大宇宙の真理を体得するしかない」と教えておられると、私は信じている。

 坐禅しましょう。