正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その四十二

 岩波文庫157ページ「いまの把捉は、放行をまたざれども、これ夢幻空花なり。たれかこれを夢幻空花と将錯就錯せん。」
 (「出」「入」の文字など必要ない)と理解すること、またそのようなことを放っておくことは起こるけれども、これは夢、幻、空に咲く花のようなものである。そのように言ってみたところで言葉では言い表せないが言わない訳にはいかない。
 文字とか観念というものは、それだけでは「夢幻空花」である。ただ人間は夢幻空花が好きなようだ。
 怖いのは、夢幻空花であるのにそれに振り回されておかしなことをしてしまうことだろう。
 ビデオかなんか見てホテルで女性をめった刺しにして殺してしまったり(この場合には病的な面もあるのだろうけど)、尾身会長という人が「オリンピックは相当な覚悟を持ってやらなければいけない」と言ったとかで大騒ぎしている。政府も「オリンピックはやる!」と言っているのだから「こういう対策をしっかりやるので大丈夫だ」と答えればいいだけのことじゃないのかな?そういう具体的な対策、行動計画がないのならだめでしょ。野党も尾身会長の一言で鬼の首を取ったように大騒ぎしている。いかにも底が浅い。国の対策のどこがどのように問題なのか、冷静に事実として示しているのかな?ただ、怪しからんばかり言ってもしょうがないし、オリンピックをしないためにどのような行動をとればIOCを説得できるのかとか、オリンピックやらない場合のデメリットも示さないと、心許ないと私は感じてしまう。
 いずれにしても夢幻空花じゃ困ります。
 坐禅して大宇宙の真理に従って行動しましょう。