正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その四十七

 岩波文庫158ページ「仏々祖々の道趣する尽乾坤の威儀、尽大地の威儀、ともに不曾蔵を徧界と参学すべし。徧界不曾蔵なるのみにはあらざるなり。これ行仏一中の威儀なり。」

 仏祖である方々がおっしゃる全世界の威儀、全大地の威儀、それはともに明明白白として目の前にある現実の世界、我々が生きている瞬間瞬間の世界が大宇宙なのだと学ばなければいけない。大宇宙は明明白白としているというだけではない。我々の日常生活の行動、坐禅して大宇宙の真理に従った行動が大宇宙と一体となった威儀を備えているのである。

 上に書いてあるように、人間一人一人が生きているというのは偉大なことだ。そしてそれを偉大たらしめるのは、坐禅である。

 本来偉大な人間が、最近ちまちました、小賢しい理屈をこねくり回している。人間の価値が分からなくなっているとしか思えない。オリンピックだってコロナだって誰が何を言ってどうしたいのかさっぱりわからない。ましてや「50歳の男性が14歳の女性と関係を持つ」とかで騒いでいるけど、なんでそんなことが口から出るんですかねえ。反省して謝罪するっていうけど、普通の日常生活の中で考えてもいないことは言葉で出てこないでしょう。

 結局は日常生活を坐禅して大宇宙の真理を体得して瞬間瞬間一生懸命生きていくしかない。それが人間の価値であり、そこに威儀が生ずる。そう信じている。