正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その五十五

 岩波文庫161、162ページ「祖宗いはく、釈迦牟尼仏、自従迦葉仏所伝正法、往兜率天(とそつてん)、化兜率陀天、于今有在(釈迦牟尼仏迦葉仏(かしょうぶつ)の所(みもと)にして正法を伝へてより、兜率天に往いて、兜率陀天を化して今に有在(ましま)す)。

 まことにしるべし、人間(じんかん)の釈迦は、このとき滅度現の化(け)をしけりといへども、上天の釈迦は于今有在(うこんゆうざい)にして化天(けてん)するものなり。学人(がくにん)しるべし、人間の釈迦の千変万化の道著(どうじゃ)あり、行取(あんしゅ)あり、説著(せつじゃ)あるは、人間一隅の放光現瑞なり。おろかに上天の釈迦、その化さらに千品万門(せんぼんまんぼん)ならん、しらざるべからず。

 歴代の仏祖と言われる方々がおっしゃる。「釈尊迦葉仏から正法を受け継がれ、往兜率天に行かれ、往兜率天の人々に正法を伝えて、今に至っている。」

 知らなければいけない。人間界の釈尊はお亡くなりになったけれど、往兜率天に行かれた釈尊は今も存在し、天の人々を教化されているのである。仏道を学ぶ者は知らなければならない。人間の世界の釈尊は、千変万化と言っていいくらい様々な言葉で、行動で、あるいは説法で正法を伝えられたけれど、それは人間世界の一部の場所で光を放たれたようなものである。天上世界の釈尊の正法の教化の方法は千、万とあることを、愚かにも知らないということではいけない。

 私は仏教の学問上の「兜率天」とはどういうものかよく知らない。

 ここに書かれていることは、大宇宙の真理はどの時代にもどの世界においても変わらないということなのだと思っている。釈尊以前にも大宇宙の真理は当然存在する。釈尊は大宇宙の真理を具体的に説かれた方ということなのだと思う。大宇宙の真理は釈尊が亡くなられても存在する。その意味では釈尊は永遠に存在すると表現することが可能だろう。

 兜率天がどうのこうのというのは、私には興味はない。

 人類が目指すべきは、絶対の真理、つまり大宇宙の真理しかない。しかし、現実の世界は、人種とか国とか宗教とかでわっさもっさと揉めている。最近では米中の対立のように。また、日本のような小さな国でも「それってほんとに重要なの?あなたがそう思い込んでるだけじゃないの?」というようなことで揉めている。

 大宇宙の真理という壮大で、絶対的な真理が世界に浸透してくれないかなあと思う。そのためには坐禅しなければいけないけど。中々、今の状態じゃ難しそうだ。