正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その七十一

 岩波文庫170ページ「いま三世諸仏といふは、一切諸仏なり。行仏すなはち三世諸仏なり。十方諸仏、ともに三世にあらざるなし。仏道は三世をとくに、かくのごとく説尽するなり。いま行仏をたづぬるに、すなはち三世諸仏なり。たとひ知有なりといへども、たとひ不知有なりといへども、かならず三世諸仏なる行仏なり。」

 ここで言う三世諸仏(過去・現在・未来の仏といわれる方々)は、すべての仏といわれる方々のことである。坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動することが三世諸仏なのである。世界のありとあらゆるところにいる仏といわれる方々は皆、過去・現在・未来ではないということはない(つまり大宇宙の真理は永遠に不変であるということ)。仏道において三世について説くときにはこのように説くことで説きつくせるのである。いま、坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動しようとするならば、それは三世諸仏そのものである。そのことを自覚しようとしまいと、必ず永遠の真理を体得した仏としての行動なのである。

 釈尊は大宇宙の真理を説かれたけれど、大宇宙の真理は釈尊以前から存在している。当たり前だけど。だから釈尊以前にも仏は存在したとして「過去七仏」というものが説かれている。これは大宇宙の真理は永遠のものということを言っているのだと考えている。

 結局は人類は大宇宙の真理に従った結果を受け入れることになる。ただ、今の状況ではかなり時間がかかるだろう。思想、宗教、利権、国益様々な要素が複雑に絡み合い、戦っている。現に紛争は絶えないし、軍事力は各国とも増強しているし、武力以外にも様々な闘争が行われている。大規模な戦闘が起きないことを祈るけれど、さて、今の人類はどの程度利口なのか?いろいろな状況を見ているとそう安心もしていられない気がする。

 人類の歴史は戦争の歴史。戦争で勝った方の思想、体制が支配するということの繰り返しだ。しかし、それらの戦争によって大宇宙の真理に近づいたかと言えば、そんなことはないとしか言えないように思う。

 坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動することのみが、人類を救えると思っているけど、実現するのは大変だ。現実の紛争を解決するためには、現実をしっかり把握して、具体的な実現可能な対応策を実行するしかない。「平和」を唱えるのも重要だけど、それだけでは世界が変わることはないと思っている。現実に核保有国は存在し続けているし、保有しようとする国も存在する。核兵器の改良も進められていると考える方が自然だろう。

 どうするか。坐禅を中心とした仏教が広まるしかない。そう思うけど、道のりは遥かだなあ。何とかなりませんかね。