正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その七十二

 岩波文庫170ページ「しかあるに、三位の古仏、おなじく三世諸仏を道得(どうて)するに、かくのごとくの道(どう)あり。しばらく雪峰のいふ三世諸仏(さんぜしょぶつ)、在火焔裏(ざいかえんり)、転大法輪(てんだいほうりん)といふ、この道理ならふべし。三世諸仏の転法輪の道場は、かならず火焔裏なるべし。火焔裏かならず仏道場なるべし。経師論師きくべからず、外道二乗しるべからず。」

 そのようなことであるので、三人の古仏(雪峰義玄、玄砂師備、圓悟克勤)は、同じ三世諸仏(永遠の大宇宙の真理を体得された仏と言われる方々)を言い表すのに、(前回のような)言葉で表現された。ここでは雪峰義玄禅師の説かれた「三世諸仏、在火焔裏、転大法輪」についてその言わんとするところを学ぶ必要がある。三世諸仏が大宇宙の真理と一体となって行動するところは、必ず、この火炎のように燃え盛っている現実世界、日常生活ということになる。火炎のように燃え盛っている現実世界、日常生活が仏の行動する場所なのである。経典を読んでいるだけの者、理屈ばかりで考えている者はそのようなことは言えないし、仏教以外の教えを信じる者、理論に頼る者、環境に頼る者は知ることが出来ない。

 前回も書いているけど、この現実の世界は、日常生活の世界は厳しいもの、火炎のように燃え盛っているものなのだ。この瞬間誤ったことをすれば、それはすぐにではなくとも必ずその結果・報いを受けなければならない。

 トラックを運転しながら酒を飲めばそれはいつか必ずその結果を受け入れなければならなくなる。「これまで大丈夫だった」なんてことは通用しない。もし仮に事故を起こさなかったっとしても、そのような人間は信用するに値しない。必ずその行ったことの結果を受けることになる。

 オリンピックはやるそうな。首都圏は無観客だそうだ。

 緊急事態宣言も出すそうだ。

 社会にとって何が重要なのか?そこの説明がないような気がする。政治家も言わないし、メディアも言わない。野党も細切れの事象を取り上げてわーわー言ってるだけにしか見えないし、メディアの言ってることはてんでんばらばら、思い付きみたいに見える。

 ただ、感染予防策を取って普通に生活しているなら、かなり防止できるのではと思ってしまうが、違うのですかね?結局は、一人一人の行動にかかっているとしか言いようがない。

 飲食店で酒を出すなとかいうことになるらしいが、別に酒飲んだら感染する訳ではなかろう。酒飲んで酔っ払って大声出して騒ぐから感染拡大するんでしょう?酒を出す出さないは本質的な問題じゃないんじゃないの?「酒飲んでもいいけど大声出して会話するな」と言っても、そんなことが出来る人はほとんどいないから酒禁止にしてしまえ、ということなのかな?日本人ってそんなに馬鹿なんだ。すくなくとも政治家はそう思っているんでしょうね。

 熱海の土砂災害だって、造成工事を行った業者がどのような工事を行ったのか、その現実が今回の災害に結び付く(まだ断定はできないようだが)。現実にどのようなことをしたのか、それは必ず現実の結果となる。

 日常生活をどのように生きるか。日常生活の積重ねが人間の価値、ひいては国家の価値を決める。だから、日常生活は燃え盛る炎のように厳しいものなのだ。

 坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動しましょう。