正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 一顆明珠その十一

 岩波文庫185ページ「いはゆるの道得(どうて)を道取するに、玄沙の道(どう)は「尽十方世界是一顆明珠、用会作麼(ようういそも)」なり。この道取は、仏は仏に嗣(し)し、祖は祖に嗣し、玄沙は玄沙に嗣する道得なり。嗣せざらんと回避(ういひ)せんに、回避のところなかるべきにあらざれども、しばらく灼然回避(しゃくねんういひ)するも、道取生(どうしゅさん)あるは現前(げんぜん)の蓋時節(がいじせつ)なり。」

 大宇宙の真理を言い表す言葉を言ってみるとして、玄沙師備禅師の言葉は「尽十方世界是一顆明珠、用会作麼」である。「十方世界はことごとく一粒の輝く美しい珠である、そのことを理解してどうだというのか」である。この言葉は仏から仏に伝えられ、仏祖から仏祖に伝えられ、玄沙師備禅師から玄沙師備禅師に伝えられた言葉である。受け取りたくないと逃げ回って、逃げ回ることが出来ないことはないかもしれないが、必死に逃げ回ったとしてもこの言葉があるという事実はこの目の前の現実のすべての時間を覆いつくているのだ。

 今この瞬間を自分自身として一生懸命に生きるしかない。真実は仏は仏として、祖は祖として玄沙師備禅師は玄沙師備禅師として、それぞれが自分自身として受け止め行動して行くしかない。そのことは逃れることはできない。自分自身から逃れられるわけがない。今この瞬間はすべての時間を包含しているのだ。

 仏教は自分自身がどのように行動して行けばよいかを教えるものだと思っている。他人に依存することはできない。

 自民党の総裁選で推薦人とか支持者とか言っている。多くの支持を集めなければ総裁にはなれないのだから仕方がないけれども、結局はその人自身がどう行動するかしかない、その人自身の力量だけしか頼るものはない。今は支持者だったとしてもこの後どうなるか知れたものではない。

 占い者だとか霊能者だとかに影響を受けておかしくなってしまう人がいるようだ。漠然とした不安より、怪しげでもはっきり言ってもらった方が安心するのかもしれない。

 しかし、他に依存している限り安定することはできない。そこが占い者や霊能者の付け目なのだろう。

 「椅止するものは動揺す」という言葉がある。何かに寄りかかっていると、寄りかかっていたものが動いたら自分も動いてしまう。独立して立っていなければ危険だ。

 独立して立つ。それは坐禅して大宇宙と一体となる、大宇宙の真理と一体となって行動することだ。本来の自分に立ち返り、大宇宙の真理に立ち返ることが、唯一安定する方法だ。

 坐禅しましょう。