正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 一顆明珠その十五

 岩波文庫186ページ「「玄沙曰、知、汝向黒山鬼窟裏作活計」。しるべし、日面月面(にちめんがちめん)は往古(おうこ)よりいまだ不換(ふかん)なり。日面は日面とともに共出(ぐしゅつ)す、月面は月面とともに共出するゆゑに、若六月道正是時、不可道我姓熱(にゃくろくがつどうしょうぜじ、ふかどうがしょうねつ、若し六月に正(まさ)に是れ時(とき)と道(い)ふも、我が姓(しょう)は熱と道(い)ふべからず)なり。」

 玄沙師備禅師が言った「なるほど、お前さんは暗い山の鬼が棲む洞穴で暮らしているのだ」。知らなければならない、太陽と月は遥か昔から太陽は太陽であり、月は月であって入れ換わることはない。太陽は太陽として昇るのであり、月は月として昇るのである。そういうことであるから、もし陰暦の6月(真夏)に「私はまさにこの時に生きている」と言うことはできるけれど「私の本質は熱である(今は暑い)」ということはできないということなのである。

 人間は唯一無二の存在だ。太陽は太陽であり、月は月であるように。鬼の棲家であろうがどこであろうが今この瞬間を生きるしかない。自分自身で生きるしかない。真夏で暑かろうがどうであろうが生きているのはこの瞬間なのであってそこを生きるしかない。暑い寒いなどと言っている暇はない。

 私は楽に生きてきたことはないし楽していきたいとも思わない。というか、楽だとか楽ではないとか選んでいる暇などない。今この瞬間を生きるだけだ。

 この瞬間が地獄のように苦しいとしても今はそういう時なのだから苦しさの中で生きるしかない。坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動している限り、苦しいとかなんだとかいう必要はない。その行動は正しいのだ。その正しさは人間のちっぽけな脳味噌が思いつく基準などとは関係ない。

 中国が思想統制を強めているように見える。そもそも思想というのは個々人が自ら生きていく中で選び取るものなので国家がそれを押し付けるというのは自然の摂理に反するものだとしか思えない。

 恒大集団とやらが破綻する可能性が高いそうな。共産主義国家で経済活動をする集団が巨大になること自体が不思議だと思うし、それが破綻するとして一般的な経済原則に中国という国が則った対応をするとは思えない。

 中国は軍事力を強化している。アメリカもオーカスなど色々手を打っている。当面激しい戦いが続くのだろう。

 日本はどうするのか。現実を正確に把握しての議論がなされているだろうか。

 国家論は重要だが、結局のところ人間一人一人が「真実とは何か。そして自分はどう生きるべきか」を考えなければ話にならない。

 真実はある。真理はある。紆余曲折はあるだろうが、最後は大宇宙の真理に従った結論が出る。

 だから坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動することが唯一無二の方法なのだ。

 坐禅しましょう。