正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 心不可得その八

 岩波文庫195ページ「現在大宋国にある雲衲霞袂(うんのうかべい)、いたづらに徳山の対不得(ついふて)をわらひ、婆子が霊利(りんり)なることをほむるは、いとはかなかるべし、おろかなるなり。そのゆゑは、婆子を疑著(ぎじゃ)する、ゆゑなきにあらず。いはゆるそのちなみ、徳山道不得(どうふて)ならんに、婆子なんぞ徳山にむかうていはざる、「和尚いま道不得なり、さらに老婆にとふべし、老婆かへりて和尚のためにいふべし」。」

 現在偉大な宋の国の仏道修行者たちはよくわかっていないのに、徳山禅師が婆さんの質問に答えられなかったことを笑い、婆さんが優れていると褒めているがそのことは大変根拠がなく愚かなことである。それはなぜかと言えば、婆さんが本当に大宇宙の真理をわかっているか疑う理由が無い訳ではないからだ。この問答の時徳山禅師が答えられなかったことに対して、婆さんは何故徳山禅師に向かって「和尚さんは今答えられない、ならばこの婆さんに聞けばよい、この婆さんが和尚さんのために言ってあげよう」と言わなかったのか。

 道元禅師はこのエピソードについて表面的なことだけを捉えてはいけないとおっしゃっている。単純に婆さんが優れていると決めつけるのは疑問だとおっしゃっている。

 婆さんが大宇宙の真理を体得しているならば徳山禅師にどう答えればよいか示せたはずであるのにそれをせずにただ立ち去ってしまった。これでは婆さんの力量はわからない。

 現実に起こっていることはそんなに単純なものではない。しかし、今の世の中、何かが起こるとネット上の情報だけで、上っ面の状況だけで非難ごうごう誹謗中傷の嵐みたいになる。あるいは無茶苦茶に褒め奉る。どちらも如何なものかと思う。

 木下とかいう都議会議員はまた体調が悪くなったとかで都議会を欠席するんだそうだ。まあ、このような人間は議員にふさわしくないとは思う。

 法的にはすぐには辞めさせられないとのこと。そりゃそうだろう。選挙で都民に選ばれた人間を簡単に辞めさせることができちゃあまずいだろう。

 法律を作るときに、まさかこんな人間が立候補するとは思っていなかったんじゃないかな。まさか当選するとは思っていなかったんじゃないかな。

 とすると、今の人間のレベルはかなり低くなっているということなんだろう。立候補する方もする方だが、投票する方も投票する方だ。今の選挙ってこんなレベルなんだろう。

 世の中全体の思考が浅薄で、表面的な言葉や理屈や見てくれで動いている。

 ちょっとした出来事の上っ面だけでわーわーとうるさい。実に実に底が浅い。

 坐禅して大宇宙の真理・真実と一体となって物事の本質を直観的に把握できるようにならないと危ないと心配している。

 坐禅しましょう。