正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 心不可得その九

 岩波文庫195ページ「かくのごとくいひて、徳山の問をえて、徳山にむかうていふこと道是(どうし)ならば、婆子まことにその人なりといふことあらはるべし。問著(もんじゃ)たとひありとも、いまだ道処あらず。むかしよりいまだ一語をも道著せざるをその人といふこと、いまだあらず。いたづらなる自称の始終、その益なき、徳山のむかしにてみるべし。いまだ道処なきものをゆるすべからざること、婆子にてしるべし。」

 (徳山禅師に婆さんが自分に質問をせよと言ったが)このように言って徳山禅師が質問をしたらそれを受けて、徳山禅師に向かって言ったことが正しいならば、婆さんは真に大宇宙の真理・真実と一体となっているということがはっきりする。婆さんは質問はしたが自ら言うことはしていない。昔から一語も真理・真実を言わない人間を大宇宙の真理・真実と一体となっているということはない。ただ自分一人でいい気になって自分は優れているなどと自称しているようでは始めから終わりまで全く益となることはない。未だに自ら真理・真実を言わない者を認めてはいけないことをこの婆さんの態度によって知らなければいけない。

 道元禅師は痛烈である。婆さんは真理・真実を言ってないではないか。それなのに婆さんが優れているなどということはあり得ない。そうおっしゃっている。

 言われてみればそのとおりだ。

 結局大宇宙の真理・真実と一体となって行動する、その中で必要ならば言葉を発する。そのこと以外に何かすることがあるだろうか。

 真理・真実と一体となっていない人間の言葉は虚しい。うるさいだけだ。もっともらしいことをしたり顔ででかい声でまき散らす奴は随分と多い。そして自分はすごいと威張っている。凄いと思い込んでいる。「いたづらなる自称の始終、その益なきなり」なんて思いもよらないだろう。ほんとに救いようがない。

 すぐに思い浮かぶ典型的なのは政治家だろう。

 特に野党はしっかりしないと。支持率が低いのに本気で自分たちの言動が正しいと思っているんだろうか?もしそうなら「国民が馬鹿だから自分たちのことが理解できない」と思っているんだろうか?

 色々変だと思うけど、例えば官僚を詰問して吊るし上げて何がどうなると思っているんだろうか。官僚がびびって与党の言うことを聞かなくなると思っているなら、相当なお馬鹿さんだ。

 官僚が心服するような言動が取れないのかね。官僚=悪だと決めつけているんだろうか。もしそうならあまりにも単純だ。

 もし仮に官僚が悪だとして、悪人を自由自在に使いこなせるくらいの力量が無ければ国家の運営などできる訳がない。夢のまた夢だ。

 アメリカ、中国、ロシア、北朝鮮その他各国のトップの顔を思い浮かべてみればいい。一癖も二癖も三癖も四癖もある連中ばかりだ。政権をとったらあの連中と国家の存亡をかけて渡り合わなければいけない。自国の官僚すら使いこなせないレベルの低さじゃ話にならない。

 とにかく坐禅するしかない。