2021-12-01から1ヶ月間の記事一覧

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 心不可得その十五

岩波文庫198ページ「しかあれば、参学の雲水、かならず勤学(きんがく)なるべし、容易にせしは不是(ふし)なり、勤学なりしは仏祖なり。おほよそ心不可得とは、画餅(わひん)一枚を買弄(まいろう)して、一口に咬著嚼尽(こうじゃしゃくじん)するをいふ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 心不可得その十四

岩波文庫197ページ「おほよそ徳山それよりのちも、させる発明ありともみえず、たゞあらあらしき造次(ぞうじ)のみなり。ひさしく龍潭にとぶらひせば頭角触折(とうかくしょくせつ)することもあらまし、頷珠(がんしゅ)を正伝する時節にもあはまし。わづか…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 心不可得その十三

岩波文庫197ページ「かくのごとくいはんに、徳山いふことあらばよし、いふことなからんには、婆子さらに徳山のためにいふべし。たゞ払袖(ほっしゅう)してさる、そでのなかに蜂(はち)ありともおぼえず。徳山も、「われはいふことあたはず、老婆わがために…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 心不可得その十二

岩波文庫196、197ページ「恁麼(いんも)いはんに、徳山さだめて擬議すべし。当恁麼時(とういんもじ)、もちひ三枚を拈じて徳山に度与(つうよ)すべし。徳山とらんと擬せんとき、婆子いふべし、「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得」。 もし又徳山…