2019-01-01から1年間の記事一覧

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その五

この頃、年齢ということを考える。と言うか、考えてしまうと言う方が近いかもしれない。 物忘れする。「そうだ、あれをやっとかねば」と思って、ちょっと別なことをすると、「何かやらなければいけない」ということは覚えているのだが、「何か」がわからない…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その四

アメリカンフットボールで一時大騒ぎになった大学の学生(選手)たちの今の心境についての記事を斜め読みした。マスコミの記事には、事実と違うことが随分書いてあったというようなことを学生たちが言っていたように記憶している。 その正否は判断できないけ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その三

オリンピックのマラソンコースをどうするこうするで大騒ぎでしたな。興味ないので、結局どうなったか知らないけど。 そもそもスポーツって何なんですかね。人間というのはスポーツをしたがる、せずにはいられないもののようだ。でも、何故国が助成するのだろ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その二

私は仏教とは「普通」に生きることを目指すものだと思っている。難しいのは「普通」とは何かということ。「仏(ぶつ)」というと艱難辛苦の修行に耐えて、ようやく到達する、すごい存在のようにとらえられがちだが、そんなことはないと考えている。 勿論、修…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その一

前回も書いたが、私は仏教とは徹底的に楽観的というか、性善説というか、人間は本来、「仏」であるという考え方だと思っている。 それが、色々頭の中であれこれ妄想し、酒や博打や薬や色事などの習慣に染まり、あるいは出世とか承認欲求とか世の中からの評価…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その十四

摩訶般若波羅蜜の巻は、般若心経の解説をしていると言ってよいと思う。 最初の頃に書いたが、「この世のものは実在しない。人間が「ある」と思っているだけだ」という考え方は、私には全く受け入れられない。「色即是空」をそう解釈した途端に、私には絵空事…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その十三

2年続けて親が死んだ。「生は一時の位なり、死も一時の位なり」と親の死は受け止めている。 ただ考えさせられるのは、自分は死に向かってどのように生きていくのか、ということだ。 体調も優れず、とにかく疲労感と倦怠感が短い周期でやってくる。医学的に…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その十二

何回か書いたと思うけど、私は政治家に期待している。民主主義の社会で選挙によって選ばれた政治家がしっかりしてくれない限り、社会は良くならない。そしてちゃんとした政治家を選ぶためには国民自身もしっかりしなければ話にならない。 この国は、さらには…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その十一

つくづく世の中何でもありだな、と思う。そして、世の中で騒いでいることって、本当にそんなに大事なことなの?とも思う。一体、人類は何がしたいのですかね?この先ろくなことにならない気がするけど。坐禅が広まらないですかね。 正法眼蔵を読んでいると、…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その十

今、体調は正直良くない。頭痛は3か月ほど続いているし、時々目眩もする。親も高齢で介護もしなければならない、自分の仕事もしないと収入がなくなる。いやはや、ほとほと参っている。医師によると脳には異常無いそうだ。緊張型頭痛(?)ではないかというこ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その九

私は政治家に期待している。報道を見ていると、今の政治家はろくでもない馬鹿ばかりのようだが(報道が正しければ)、選挙によって選ばれた政治家が政治をきちんとする以外にこの国をひいては世界を良くして行く方法はないではないのかな? 国会の議論など見…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その八

運動の部活動で、指導者のパワハラとか暴力のことが報道される。 私は、いつも、軍隊のことを思い浮かべる。私は軍隊の経験などない。ただ、軍隊の経験を書いた人の文章を読んだだけだ。 その範囲だけの知識だが、全く同じに見える。日本の民主主義なんて、…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その七

何だか薄っぺらな世の中と思えてならない。「一億総活躍」って何ですかこれ。年金や健保の財源が足らないので、死ぬまで働けっていうことなんでしょうけど。国民がみんなニコニコ活躍しているなんて、私には薄気味悪い。 働くか働かないかなんて、正直ほっと…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その六

人間が生きるというのは、本当に大変なことだと思う。毎日毎日、瞬間瞬間、次々と色々なことが起こる。 それらに、般若(直観的な正しい智恵)で対応していくのが、生きるということなのだろう。 よく仏教で平穏な境地を得るというようなことが言われるが、…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その五

芸人やらタレントやらが色々世間を騒がせてます。私の母は昭和一桁生まれだが、芸人、役者、小説家、プロスポーツ選手については「堅気(かたぎ)の暮らしができないどうしようもない人間で、かろうじて芸ができるとか、文章がかけるとか、運動ができるとか…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その四

しかしまあ、つべこべうるさい世の中ですなあ。いろんな人が色々言ってます。でも、実際、事実として起こっていることは何なのか、よくわからない。 言ったり、書いたりしてる人は信用できるのか、よくわからないし。その人にはそう見える、その人はそう思っ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その三

サステナブルとかいう言葉が流行ってますな。自然環境や経済活動が持続可能となるような取組みだそうな。 いい加減、地球を滅茶苦茶にしといてなんだそりゃ?と個人的には思う。大体サステナブルを声高に主張してる国って、これまで先頭に立って環境破壊して…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その二

最初の頃に書いたけれど、私が遭遇した仏教の関係者は、私にとっては、変な人達だった。 また、世間一般の仏教のイメージ(私だけかもしれないが)は、この世は儚い、虚しい、実在しない(人間が実在すると思っているだけ)とか、私には到底受け入れられない…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜その一

私は長年ずっと病院に通っている。病名は様々。中には原因不明、病名もわからんというものもいくつかあった。職場で倒れて救急車で運ばれたことも三度ほどある。 お医者さんに不快な目に遭ったということはない。皆さん一所懸命に対応してくれたと思っている…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その二十

色々と体にがたがきております。調子が悪いと通院、検査もしんどい。澤木氏が、体の具合が悪いと無常を感じるという趣旨のことを話しておられたと記憶するが、自分も実感してます。 人間が生きているというのは、本当に細い線の上を綱渡りしてるのだというこ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その十九

今現在、私は親のことや自分自身の体調のことやらで、かなりへばってます。これも今の現実なので、これに一つ一つ瞬間瞬間対応してます。「あ、これ以上やると危ないな」と感じたら、やれる範囲だけにして、やれないことは、やれないので仕方ないと考えてま…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その十八

このところ書いていたなかったけど、毎日坐禅しなければいけないことをお忘れなく。 今は頭の中中心の世の中、知識の量やうまく理屈をこねることができることが評価されていると思う。大事なのは、何回も書くが行動だ。その瞬間正しい行動(大宇宙の真理に適…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その十七

前回書いたことと似てるけど、「俺はわかっている」と言ったり、思っている人は多いと思いますな。「わかっている」から優秀だ、偉いのだと思っているのが見え見えの人は笑ってしまうくらいいますよ。 人間の脳味噌は凄いところもあるけれど、ちっぽけでもあ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その十六

今の時代は「威張る」時代だなぁと思うことが多い。なんかちょっと知ってるだけなのに、やたらに威張っている人多くないですかね?たったそれだけの知識や経験で、よくそこまで言えますね?と言ってあげたい人がいっぱい。謙虚は時代に合わないのでしょうね。…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その十五

正直言って、日常生活に疲れております。職場でも家庭でも、次から次へと色々起こりますなあ。原因不明の頭痛はおさまらないし、結構しんどいです。 今はそういう時期なので、今やれることを、やれる限りやるしかない。坐禅しながら、何とかしのいでおります…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案手その十四

口では偉そうなことを言う、素晴らしい理論を展開する、だけど、実際にやらせてみると全然駄目なんて人、多いですよね。能書き垂れてる暇があればちゃんとやれよ!と言いたい奴はゴロゴロいる。頭の中でどんなに素晴らしいこと考えても、現実の世界で何もで…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その十三

「俺は分かっている。俺にはすべてがよく見えている。だから俺の言うこと、やることは正しい」と言う人はかなり多い。わかったようなことを言う人ならもっと多い。テレビのコメンテーターなんてその最たるものではないのかな? 仏法、仏教の修行をしたら、何…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その十二

どう見ても大したことない、言っていることも薄っぺら、どこかで聞き齧ったようなことを堂々と言う時代だなぁ。言論は絶対に自由でなければいけない。だから、いい加減なことを言う人間を力で封じてはいけない。バッシングするなんて時間の無駄だと思う。 俺…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案手その十一

いつも思う。人間というものは、本当にどうしようもない存在だと。一方で人間を信じようとも思い続けている。 本来、人間は大宇宙の一部、大宇宙の中の一部を人間の形に囲ったものだと思っている。だから、人間は大宇宙そのもの、素晴らしいもののはず。なの…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その十

毎日殺人事件の報道がある。私は、坐禅している身心ならば人は殺せないと思っている。楽天的に過ぎると言われるだろうが、そう信じている。それが仏教、仏法だと思っている。人間は生まれてから、どんどんおかしなものが身に付いてしまう。だから、坐禅して…