2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧

正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手に取ってからその七

澤木興道全集のうちの辦道話が載っている巻だけ買って読み始めた。読むと言っても仕事は相変わらず激務でまとまった時間は取れない。朝晩の通勤電車の中が主な読む時間だった。 澤木興道氏は魅力的な人だと思った(ちょっと読んだだけで僭越だけど)。以下、印…

正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手に取ってからその六

大量の便が出て、気分は良くなった。 けど、それだけ。それだけでもありがたいと思うのは、正直無理だった。 状況は変わらず、というより悪化していった。私に対する周囲の対応も辛辣さを増していった。 「坐禅したらうんこ出ました」これでもいいのかもしれ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手に取ってからその五

坐禅のやり方だけ斜め読みして、坐禅してみたが、何も変わらなかった。1日だけで、パッと上手くいくものではなかろうが、もう少し何かあるかなという期待はあった。けど、何もなかった。 ただ、坐禅は続けてみよう、正法眼蔵は読みたいという気持ちはあった…

正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手に取ってからその四

よく坐禅をすると無の境地というが、私は全く違った。幸い購入した「坐禅のやり方」に妄想が沸いてもまた坐禅に戻ればよいとされていたので、無にならないとかでは悩まなかった。 ただ、毎回怒りに震えていていいのかなと不安にはなった。 その日(初めて坐禅…

正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手に取ってからその三

三十ページほどの「坐禅のやり方」を通読する余裕もなく、ただ坐り方だけ読んで坐禅をやろうとした。 まず知らなかったこと。坐禅は平らな座布団の上でやるのではないこと。知らなかった。坐蒲とかいうものにお尻を載せお尻を持ち上げ、両膝とお尻の三点で支…

正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手に取ってから その二

岩波文庫の第一巻冒頭の辦道話をちょっと眺めた程度だが、坐禅しようと思った私は本屋に行った。坐禅のやり方が分からなかったからだ。 私の職場の環境は厳しく、辛いことに変わりはなく正法眼蔵を読む時間も限られているし、坐禅のやり方が書いてある本もで…

正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手に取ってからその一

さて、岩波文庫の正法眼蔵四巻全部買って、家で第一巻を開いてみた。 まず、辦道話(べんどうわ)から始まっている。脚注によると、辦道とは「真実に生きる修行に力をつくすこと」とあった。「真実に生きる」というのは私の思いと一致するのだが「修行に力をつ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手に取るまでのことその四

般若心経の本に落胆。そのとき頭に浮かんだのは、ここにはたくさんの本が並んでいる。しかし、書いた人間は、人生をどう生きたらよいか、死ぬような経験があって書いたのだろうか?寺に生まれて坊さんになって、ちょっと書くのが得意で書いているんじゃない…

正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手に取るまでのことその三 

正しさとは何なのか、正しさが何故通用しないのか。この問題を解決できないか、その思いで書店に向かった。 哲学書のコーナーに行こうかと思ったが、あくまで私のイメージなので恐縮だが、哲学は学者が頭の中で考えているものと思え、今の私の状況の解決には…

正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手に取るまでのことそのニ

この事業は上手くいかない、成り立たないという報告をした。私は、単純と言えば単純で、こんな明確なことは、普通の職業人が読めばすぐに理解されると思っていた。 ところが、社内、出向元の両方から厄介者扱いされることになってしまった。今ならパワハラだ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 正法眼蔵を手にとるまでのこと その一

これまで書いてきたように、宗教には無縁というよりは、否定的で、危ないから近づかないようにしていた私が何故、正法眼蔵を手にとったのか、タイトルに記したように正法眼蔵がなければ死んでいた、と思うようになったのか。その経緯(いきさつ)を書くことに…

正法眼蔵がなければ死んでいた 仏教の思い出その二

前回は、小学校低学年の頃の話だったが、今回は大学生の頃の思い出。 ある友人(とはいっても、私は親しみも感じていなかったし向こうが勝手に近寄ってきたので、その時点で胡散臭いといえば胡散臭い)が「いい先生がいる。話を聞いておいて損はない。絶対役に…

正法眼蔵がなければ死んでいた 仏教の思い出その一

前回、キリスト教の思い出を書いたので、今回は仏教についての思い出を書くことにしたい。 まだ、小学校低学年の頃に祖母が死んだ。当時は、今のように葬祭場で葬式をするのではなく、自宅で葬式というのが普通だった。そのときのこと。 坊さんが読経も終わ…