正法眼蔵がなければ死んでいた 仏教の思い出その一

 前回、キリスト教の思い出を書いたので、今回は仏教についての思い出を書くことにしたい。

 まだ、小学校低学年の頃に祖母が死んだ。当時は、今のように葬祭場で葬式をするのではなく、自宅で葬式というのが普通だった。そのときのこと。

 坊さんが読経も終わり、寺に帰ろうとした。当時のお寺は景気がよかったのか(今はお寺の経営も大変らしいが)、お抱えの運転手の車で来ていたのだが、何と、車が無い。坊さんは怒って私の家の電話で(当時携帯電話などもちろん無い)寺に電話し「〇〇(運転手)はどうした!」と電話口で大声で怒鳴った。しばらくして運転手さんが出たようで、また怒り出した。「なにー!うんこしたくなっただと‼️この家の便所借りればいいじゃないかっ‼️ばかもん‼️さっさと迎えに来いっ‼️」

 青筋立てて怒っていた。坊主頭というのは、くっきり青筋が良くわかるというのが、妙に印象に残っている。

 それと坊さんが激怒したのには、驚いた。坊さんは穏やかな人だと子供心には思っていたのだと思う。

 この出来事は仏教と人格の関係について、強い影響があったと思う。そのときは、明確に意識してはいなかったけど、嫌な光景であったことは、間違いない。

 仏教って何なんだ?あんなことであんなに怒るって仏教としてどうなんだろうと懐疑的な意識が芽生えたと言っていいと思う。「坊さんは激怒する」のだ。

 まあ、世の中には色々な人がいる訳で、坊さんにもいろいろな人がいて当然なのだろうけど。