正法眼蔵がなければ死んでいた まずは私と宗教との思い出

 初めてブログを始める。何だかよく分からないし、不安だけれど、書いてみたいという気持ちが強く、思い切って始めることにした。

 道元禅師の正法眼蔵と私の関わりを書いていきたいと思う。正法眼蔵がなければ死んでいたと心底思っている。正法眼蔵を初めて手にした(岩波文庫)ときから30年近く経った。遺言にもなろうかと思う。

 ここでお断りしておきたいのは、①私は学問的に仏教、正法眼蔵を学んではいないということ、②家の宗旨はあるが曹洞宗ではないこと、③仏教の修行もしていないので所謂宗門というものには一切無知であること、④初詣や参拝もしないし親族の葬式も坊さんも呼ばず家族だけで済ませるなど信者といわれる人がやることはしていないこと、である。

 もっと言うと、いかなる宗教団体にも属していない。対人恐怖気味で人間不信、人間は何をしでかすか分からないと思っている。プライベートではあまり人間と関わりたくない。要は変な人間である。正法眼蔵を読んでも立派な人間にはなっていない。ただ、正法眼蔵のおかげで何とか生きてこられたのだ。 

 それは何故かも含めこれから書いていきたい。

 まずは、正法眼蔵に出会うまでに私が持っていた仏教(宗教)の経験からのイメージについて書くことにしたい。

 幼稚園のときの経験というか思い出。なんと、我家にはカトリックの「カ」の字も、キリスト教の「キ」の字もないのに、カトリック系の幼稚園に入れられてしまった。親はカトリックキリスト教にモダンな感じ(今では死語なのかな)を持っていたのだろうと思う。

 当然私は何も知らないし、分からないけれど、教会でお祈りしたり、讃美歌を歌ったりした。周りの子の多くはお祈りの言葉も讃美歌も知っているが、こちらは何も知らない。かろうじて「父と子と聖霊との御名においてアーメン」だけ覚えた。あとは全く覚えなかった。周りにあわせて適当にやっていた。おそらく、イエス・キリストの話なども聞いたのだろうけど全く覚えてない。

 覚えているのは、修道女の格好をした外人の偉い人がいて(格好をしていたのではなくて修道女なのだろう)、その人が担任の若い女の先生をいつも厳しく叱っていたことだけ。「先生かわいそうだな。嫌な婆さんだな」と思っていた。外人なので(きっと白人)鼻が高く、「魔女」という印象が残っている。修道女を魔女と言ったら怒られるだろうけど、幼稚園の思い出は、「魔女のような嫌いな婆さんがいるところ」、しかない。宗教的な影響など、全くなかった。ゼロ。

 次回は、仏教についての思い出を2つばかり書こうと思う。