2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性そのニ十ニ

岩波文庫77、78ページ「かの説、行、証、亡(もう)、錯(さく)、不錯(ふさく)等も、しかしながら時節の因縁なり。時節の因縁を観ずるには、時節の因縁をもて観ずるなり。払子(ほっす)、挂杖(しゅじょう)等をもて観ずるなり。さらに有漏智、無漏智、…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性そのニ十一

岩波文庫77ページ「仏言、「欲知仏性義(よくちぶっしょうぎ)、当観時節因縁(とうかんじせついんねん)、時節若至(じせつにゃくし)、仏性現前(ぶっしょうげんぜん)」 「いま「仏性義をしらんとおもはゞ」といふは、たゞ知のみにあらず、行ぜんとおもは…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性そのニ十

岩波文庫76、77ページ「たとひかくのごとく見解(けんげ)すとも種子および花菓、ともに条々の赤心(せきしん、しゃくしん)なりと参究(さんきゅう)すべし。果裏(かり)に種子あり、種子みえざれども根茎(こんきょう)を生ず。あつめざれどもそこばくの…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その十九

岩波文庫76ページ「ある一類おもはく、仏性は草木(そうもく)の種子(しゅうじ)のごとし。法雨(ほうう)のうるひしきりにうるほすとき、芽茎生長(げきようしょうちょう)し、枝葉花菓(しようけか)もすことあり。果実さらに種子をはらめり。かくのごと…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その十八

岩波文庫76ページ「悉有は百雑砕(はくざっすい)にあらず、悉有は一条鉄(いちじょうてつ)にあらず。拈拳頭(ねんけんとう)なるがゆゑに大小にあらず。すでに仏性といふ、諸聖(しょしょう)と斉肩(せいけん)なるべからず、仏性と斉肩なるべからず」 す…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その十七

岩波文庫76ページ「仏之与性、達彼達此(ぶっしよしょう、たっぴたっし)なり。仏性かならず悉有なり、悉有は仏性なるがゆゑに」 仏を理解することは性を理解すること、仏性を仏と性に分けられない。仏性はすべての存在であり、すべての存在は仏性である。 …

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その十六

岩波文庫75、76ページ「いま仏道の晩学初心、しかあるべからず。覚知は動著にあらざるなり。たとひ動著を学習すとも、動著は恁麼(いんも)にあらざるなり。もし真箇の動著を会取(ういしゅ)することあらば、真箇の覚知覚了を会取すべきなり」 仏道を学ぶ者…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その十五

岩波文庫75ページ「往々に古老先得(ころうせんとく)、あるいは西天(さいてん)に往還(おうげん)し、あるいは人天(にんでん)を化導(けどう)する、漢唐より宋朝にいたるまで、稲麻竹葦(とうまちくい)のごとくなる、おほく風火の動著(どうじゃ)を…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その十四

岩波文庫75ページ「覚者知者はたとひ諸仏なりとも、仏性は覚知覚了にあらざるなり。いはんや諸仏を覚者知者といふ覚知は、なんだちが云云(うんぬん)の邪解(じゃげ)を覚知とせず、風火の動静(どうじょう)を覚知とするにあらず。たゞ一両の仏面祖面、こ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その十三

岩波文庫75ページ「いたづらに風火(ふうか)の動著(どうじゃ)する心意識(しんいしき)を仏性の覚知覚了(かくちかくりょう)とおもへり。たれかいふし、仏性に覚知覚了ありと。」 西嶋氏は風火について「物質的なものを地水火風というが、そのうちの二つ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その十二

岩波文庫75ページ「仏性の言(ごん)をきゝて、学者おほく先尼外道(せんにげどう)の我(が)のごとく邪計(じゃけ)せり。それ、人にあはず、自己にあはず、師をみざるゆゑなり。」 仏性という言葉を聞いて、仏教を学んでいる者の多くは、仏教ではない(先…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その十一

岩波文庫74、75ページ「まさにしるべし、悉有中に衆生快便難逢(しゅじょうかいびんなんふ)なり。悉有を会取することかくのごとくなれば、悉有それ透体脱落(とうたいとつらく、だつらく)なり。」 「悉有中に衆生快便難逢」のところは、岩波文庫の水野氏の…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その十

岩波文庫74ページ「無始有(むしう)の有にあらず、是什麼仏恁麼来(ししもぶついんもらい)のゆゑに。始起有(しきう)の有にあらず、吾常心是道(ごじょうしんぜどう)のゆゑに」 ここも前半は言葉、頭の中の観念論で、それを坐禅の境地、大宇宙の真理から…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その九

岩波文庫74ページ「本有(ほんぬ)の有にあらず、亘古亘今(かんこかんこん)のゆゑに。始起(しき)の有にあらず、不受一塵(ふじゅいちじん)のゆゑに。条々の有にあらず、合取(がっしゅ)のゆゑに」 道元禅師は、頭の中で考えた言葉、観念、概念を否定し…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その八

岩波文庫74ページ「妄縁起の有にあらず、徧界不曾蔵(へんかいふすんぞう)のゆゑに。徧界不曾蔵といふは、かならずしも満界是有(まんかいぜう)といふにあらざるなり。徧界我有(へんかいがう)は外道の邪見なり」 訳も分からず現れる、存在するものではな…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その七

岩波文庫74ページ「尽界(じんかい)はすべて客塵(かくぢん)なし、直下(ちょくか)さらに第二人あらず、直截根源人未識(ぢきせつこんげんにんみしき)、忙ゝ業識幾時休(ぼうぼうごっしききじきゅう)なるがゆゑに。」 この世の中は、世界そのものであっ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 仏性その六

「権力」というもののイメージは、あまりよくないみたいだ。けれど、会社で言えば、「権限」つまり決定の責任者もその部分においては権力があると言える。社長、CEO、取締役会、株主(株主総会)も権力者(機関)だ。 自分の理想とするものを組織として実現…