2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 一顆明珠その一

岩波文庫180ページ「裟婆世界大宋国(しゃばせかいだいそうこく)、福州玄沙山院宗一大師(ふくしゅうげんしゃさんいんそういだいし)、法諱師備(ほういしび)、俗姓者謝(ぞくしょうはしゃ)なり。在家のそのかみ釣魚(ちょうぎょ)を愛し、舟を南台江(な…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その九十

前回までで行仏威儀の巻は終わり。 坐禅して大宇宙の真理と一体となって行動する。その時には、全天全地が真実・真理を示ている。本来大宇宙の真理に満ち溢れているのだが、坐禅した心身でないとそのことは分からない。坐禅して大宇宙の真理と一体となって行…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その八十九

岩波文庫178、179ページ「しかあればすなはち、三世の諸仏は三世に法をとかれ、三世の法は三世に仏にとかるゝなり。「葛藤窠(かっとうか)」の「風前」に「剪断(せんだん)」する「亙天(かんてん)」のみあり。「一言(いちごん)」は、かくるゝことなく…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その八十八

岩波文庫178ページ「よろこぶべし、この皮袋子(ひたいす)、むまれたるところは去聖方遠(こしょうほうおん)なり、いけるいまは去聖時遠(こしょうじおん)なりといへども、亙天(かんてん)の化導(けどう)なほきこゆるにあへり。いはゆるほとけ法をとく…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その八十七

岩波文庫178ページ「いま圜悟さらに玄沙に同ぜず、雪峰に同ぜざる道(どう)あり、いはゆる「烈焔亙天(れつえんかんてん)はほとけ法をとくなり、亙天烈焔は法ほとけをとくなり。この道(どう)は、真箇これ晩進の光明なり。たとひ烈焔にくらしといふとも、…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その八十六

岩波文庫177ページ「圜悟(えんご)いはくの猴白(こうはく)と将謂(しょうい)する、さらに猴黒(こうこく)をさへざる「互換(ごかん)の投機(とうき)」、それ神出鬼没なり。これは玄沙と同条出すれども、玄沙に同条入せざる一路もあるべしといへども、…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その八十五

岩波文庫176ページ「たどらんとするに、箭鋒相拄(せんぶしょうしゅ)せり。火焔は決定(けつじょう)して三世諸仏のために説法す。赤心片々として鐵樹花開世界香(てつじゅせかいこう)(鐵樹、花開いて世界香(かん)ばし)なるなり。且道(しゃどう)すら…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その八十四

岩波文庫176ページ「又いはく、於我滅後(おがめつご)、聴受此経(ちょうじゅしきょう)、問其義趣(もんごぎしゅ)、是則為難(ぜそくいなん)。 (我が滅後に於て、此の経を聴受し、其の義趣を問ふは、是れ則ち難しと為す。) しるべし、聴受者もおなじく…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その八十三

岩波文庫175、176ページ「釈迦牟尼仏のいはく、若説此経(にゃくせつしきょう)、則為見我(そくいけんが)、為一人説(いいちにんせつ)、是則為難(ぜそくいなん)。 (若し此の経(きょう)を説かんは、則ち我を見ると為(な)す、一人の為に説くは、是れ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 行仏威儀その八十二

岩波文庫175ページ「諸仏は機に逗(とう)ずる説法ありとのみしりて、諸仏聴法すといはず、諸仏修行すといはず、諸仏成仏すといはず。いま玄沙の道には、すでに三世諸仏立地聴法といふ、諸仏聴法する性相あり。かならずしも能説をすぐれたりとし、能聴是法者…