2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 心不可得その十一

岩波文庫196ページ「婆子もし徳山とはん、「現在心不可得、過去心不可得、未来心不可得。いまもちひをしていづれの心をか点ぜんとする」。かくのごとくとはんに、婆子すなはち徳山にむかつていふべし、「和尚はたゞもちひの心(しん)を点ずべからずとのみし…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 心不可得その十

岩波文庫196ページ「こゝろみに徳山にかはりていふべし、婆子まさしく恁麼問著(いんももんじゃ)せんに、徳山すなはち婆子にむかひていふべし、「恁麼則你莫与吾売餅(恁麼ならば則ち你(なんじ)吾が与(ため)に餅を売ること莫(なか)れ)」。 もし徳山…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 心不可得その九

岩波文庫195ページ「かくのごとくいひて、徳山の問をえて、徳山にむかうていふこと道是(どうし)ならば、婆子まことにその人なりといふことあらはるべし。問著(もんじゃ)たとひありとも、いまだ道処あらず。むかしよりいまだ一語をも道著せざるをその人と…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 心不可得その八

岩波文庫195ページ「現在大宋国にある雲衲霞袂(うんのうかべい)、いたづらに徳山の対不得(ついふて)をわらひ、婆子が霊利(りんり)なることをほむるは、いとはかなかるべし、おろかなるなり。そのゆゑは、婆子を疑著(ぎじゃ)する、ゆゑなきにあらず。…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 心不可得その七

岩波文庫194ページ「婆子そのとき徳山を杜口(とく)せしむとも、実にその人なること、いまださだめがたし。そのゆゑは、「心不可得」のことばをききては、「心、うべからず、心、あるべからず」とのみおもひて、かくのごとくとふ。徳山もし丈夫(じょうふ)…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 心不可得その六

岩波文庫194ページ「つらつらこの婆子(ばす)と徳山と相見(しょうけん)する因縁をおもへば、徳山のむかしあきらめざることは、いまきこゆるところなり。龍潭をみしよりのちも、なほ婆子を怕却(はきゃ)しつべし。なほこれ参学の晩進なり、超証の古仏にあ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 心不可得その五

岩波文庫193、194ページ「うらむべし、数百軸(すはくじく)の釈主、数十年(すじゅうねん)の講者(こうじゃ)、わづかに弊婆の一問をうるに、たちまちに負処に墮して、祇対におよばざること。正師をみると正師に師承せると、正法をきけると、いまだ正法を…