2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案手その十四

口では偉そうなことを言う、素晴らしい理論を展開する、だけど、実際にやらせてみると全然駄目なんて人、多いですよね。能書き垂れてる暇があればちゃんとやれよ!と言いたい奴はゴロゴロいる。頭の中でどんなに素晴らしいこと考えても、現実の世界で何もで…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その十三

「俺は分かっている。俺にはすべてがよく見えている。だから俺の言うこと、やることは正しい」と言う人はかなり多い。わかったようなことを言う人ならもっと多い。テレビのコメンテーターなんてその最たるものではないのかな? 仏法、仏教の修行をしたら、何…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その十二

どう見ても大したことない、言っていることも薄っぺら、どこかで聞き齧ったようなことを堂々と言う時代だなぁ。言論は絶対に自由でなければいけない。だから、いい加減なことを言う人間を力で封じてはいけない。バッシングするなんて時間の無駄だと思う。 俺…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案手その十一

いつも思う。人間というものは、本当にどうしようもない存在だと。一方で人間を信じようとも思い続けている。 本来、人間は大宇宙の一部、大宇宙の中の一部を人間の形に囲ったものだと思っている。だから、人間は大宇宙そのもの、素晴らしいもののはず。なの…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その十

毎日殺人事件の報道がある。私は、坐禅している身心ならば人は殺せないと思っている。楽天的に過ぎると言われるだろうが、そう信じている。それが仏教、仏法だと思っている。人間は生まれてから、どんどんおかしなものが身に付いてしまう。だから、坐禅して…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案手その九

本題から外れるが、道路に空き缶が捨ててあった。近くの自販機のゴミ箱に持っていって捨てた。道にゴミを捨てて平気な国民がいる国は下等な国だと思う。ちょっとした山の中に「ゴミの不法投棄はやめろ」という看板を見ることもよくある。こういうことをする…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その八

仏教を勉強する(修行する)のは、まず発心(ほっしん)つまり真実を知りたいという強い願いが必須だ。その上で、優れた指導者(善知識(ぜんちしき))に従って修行せよ、と道元禅師はおっしゃっている。私は、繰り返し書いているが、対人恐怖気味で、人間…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その七

岩波文庫54ページ「諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己を諸仏なりと覚知することをもちゐず。しかあれども証仏(しょうぶつ)なり、仏を証しもてゆく」 大宇宙の真理を体得した人=仏は、自分が仏だという感覚はない。「俺は仏だぞ」なんてことはない。だけ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その六

岩波文庫54ページ「自己をはこびて万法(ばんぽう)を修証(しゅしょう)するを迷(めい)とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり」 前回書いたことと重なるところもあると思うけど読んでやってください。 前半は、この世の真実、真理を知りたい、わ…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その五

「しかもかくのごとくなりといへども、華(はな)は愛惜(あいじゃく)にちり、艸(くさ)は棄嫌(きけん)におふるのみなり」西嶋氏はこれを道諦の立場とされている。 頭の中で理想をあれこれ考える、客観的に世の中は物質の集まりと考える、人間は一所懸命…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その四 

「仏道もとより豊倹より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり」 ここの「豊倹より跳出せるゆゑに」が難しい。西嶋氏は、ここは滅諦の立場とされている。つまり、行動の世界。西嶋氏は「行動の立場というのは一所懸命の世界、無我夢中の世界」なので…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その三

岩波文庫53ページ。「万法ともにわれにあらざる時節」ここは西嶋氏のいう「集諦」の立場。集諦は客観的、唯物論的立場だそうだ。 事実関係を客観的にみるというのは重要だと身に染みている。一方で客観的に事実関係を把握することの難しさも身に染みている。…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案そのニ

本文冒頭から混乱する。岩波文庫53ページ。全文を書くと長くなるので、私なりに抜き出す。まず「諸法(しょほう)の仏法なる時節(中略)生(しょう)あり、死あり」とあり、次に「万法(ばんぽう)ともにわれにあらざる時節(中略)生(しょう)なく滅なし…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 現成公案その一

まず「現成公案(げんじょうこうあん)」とは何か?から始めたい。岩波文庫53ページの水野弥穂子氏の脚注では「現実はあるがままで何不足ない真実であり、万物は分を守って平等であること」とある。仏教を学術的に学んだ人、宗門の人なら理解できるのかもし…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 辦道話そのニ十一

辦道話は1231年道元禅師が宋の国から帰国してから4年後に書かれたものだそうだ。道元禅師31歳。31歳でこのようなものが書けるというのは物凄いことだと思う。また、既成の仏教教団を痛烈に批判もしている。すごい意思だと思う。道元禅師にとって真の仏教を伝…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 辦道話その二十

今、世界は地球上の人々は何を目指そうとしているのか、と思う。結局は国益であり、個人の利益の獲得ではないかと感じる。もちろん、利益は大事だと思う。西嶋氏も、利益をあげられない会社は社会から評価されていない(商品やサービスが評価されていない)…

正法眼蔵がなければ死んでいた 私にとっての正法眼蔵 辦道話その十九

頭の中で色々考えが渦巻いて、あるいは、あーでもないこーでもないと頭の中でこねくり回しているうちに、現実と頭の中の光景が区別できなくなってしまうという人が結構多いのではないか。私の周囲にも、事実関係は明白なのに、全く違う光景を見ているとしか…